オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その124

基本合意


 
 翌朝のメトロポリタン放送の定時ニュースは米朝交渉の結果を伝えた後、山瀬の解説レポートを報じた。
 
「今回の米朝交渉で基本合意した四つの項目の内、直ちに実行に移されるのは北朝鮮に対する医療支援と軍同士の連絡回線の新規設置だけです。封じ込め作戦は終了したとは言えADE株再燃のリスクが残る以上、医療支援が波紋を呼ぶ可能性はほぼありません。軍同士の連絡回線の設置も偶発的衝突を避ける為には重要で、アメリカ国内でも歓迎されるでしょう。
 一方、残りの二つの項目の内、アメリカ国内でタカ派の反発も予想される食糧支援ですが、その第一陣が北朝鮮に到着するのは早くとも夏以降になるだろうとアメリカ政府当局者は説明しています。また、もう一つの合意、双方の首都への連絡事務所の設置の履行時期はあくまでも年内とされています。象徴的にも実質的にもいずれも大きな動きになりますが、食糧支援と連絡事務所の設置は、いずれも履行までに最低でも数か月の猶予がある訳で、北朝鮮の今後の対応次第では延期、または取り消しも可能になる仕掛けになっています」
 
 細部の悪魔はアメリカ側も用意するのだ。

 目覚ましの音で少し前に起きた菜々子は、寝ぼけ眼でソファに座り聞き入っていた。
 
「今後の焦点は、次の核管理問題の交渉に移ります。そして、それは、アメリカが求める査察の範囲の寧辺以外への拡大を北朝鮮がどこまで受け入れるかに掛かってきます。また殆ど手つかずの軽水炉への査察の進捗状況も課題です。それら次第で、今の関係改善の流れが本格的なものになるのか、それとも、停滞、もしくはご破算になるのか、決まってくるでしょう。胸突き八丁はこれからということになります。ジュネーブからお伝えしました」
 
 間違いなく体力派だった山瀬も立派な解説レポートをするようになっていた。結婚を機に会社を辞める決意までには至っていなかったが、これなら自分が居なくとも後は大丈夫だろうと菜々子は思っていた。後に関して気掛かりなのは大友の健康状態とあのネタだけだ。 
 
 太田は依然ベッドで寝息を立てていたが、菜々子は優しく揺り起こす。二人ともオフィスに行く支度を始める時間だった。
 
 

異動


 
 パイプ・オルガンの音が鳴り響き、教会の正面玄関のドアが開くと、ベールを被ったウェディング・ドレス姿の菜々子がしずしずと歩みを始めた。半歩斜め後方に、今は亡き父親の写真を抱えた和服姿の母親が続く。ブライド・メイドは居ない。その様子を合わせて40人程の参列者が見守った。家族・親戚一同と特に親しいプライベートの友人達だけだ。
 
 誰もが菜々子のオーラに圧倒されていた。
 
 メトロポリタン放送から出席したのは、菜々子が姐さんと呼ぶ桃子一人。式の様子を後でルークや矢吹に報告する係でもある。
 
 祭壇の前で待っていた太田は笑顔で菜々子の手を取り、軽く腕を組んだ。二人が祭壇に正対すると、式を主宰する片岡康弘牧師がお祈りを始めた。
 
「まさにお似合いだわ…」
 
 ありきたりの表現だが、それがぴったりの二人の一挙手一投足を見逃すまいと桃子は食い入るような目で観察を続けた。仕事ではないのだが、こんな時にもその癖が出るのだ。
 
 5月の最終日曜日の午後、文字通り五月晴れの好天の中、菜々子の母校のミッション・スクールの教会で、二人の結婚式は粛々と進行した。新婚旅行の予定は無いが、菜々子は翌日から一週間の休みを取り、各種手続きをするつもりだった。入籍とパスポートの苗字変更申請は既に済んでいたが、新しいパスポートを入手次第、アメリカ大使館に駐在ヴィザの申請をする必要があった。

 
 菜々子はニューヨークに本社を置く現地法人の副社長に栄転する。それに必要なヴィザは通常の特派員ヴィザと異なり、発給までに二か月ほど掛かる。この為、赴任は8月上旬の予定だった。正式な発令こそ未だだったが、太田は6月下旬にはワシントンに経済担当公使として赴任する。
 
 ニューヨークとワシントンは特急を使えば二時間余りで行き来できる。アメリカ現地法人で報道・制作担当の副社長兼報道局アメリカ総局長に収まる菜々子にとってはワシントンも縄張りの中に入る。折に触れワシントン支局を訪問するのは仕事の一環になるのだ。東京とワシントンで離れ離れに暮らすのに比べればずっと恵まれた新婚生活を送ることが出来るという訳だ。
 
 この異動には矢吹の配慮があった。
 
 アメリカ総局長は、今回、菜々子の為に新設されたポストであった。形式上栄転とはいえ、半ば上がりのポストと見做されている現地法人副社長に収まるだけでなく、菜々子は報道局のラインにも残ることになるからだ。当然、アメリカでは取材指揮を執るし、自分自身も取材とレポートをする。菜々子にも再びやる気が漲っていた。
 
 代わりの国際取材部長には菜々子の前任者でもある北京支局長の岩岡宏が舞い戻る。岩岡の後任として北京支局を取り仕切るのは秘書の北山和明だ。北山は若い頃に記者経験があるとは言え、報道を離れて随分経つ。周辺では意外な人事と受け止められたが、本社国際取材部は代表の意向を踏まえ、中国政府対応中心に人事的にもシフトすることが明白だった。北山の代わりの代表秘書には、その取扱いに家族から不満が出ていたソウル特派員の戸山明雄が就く。
 
 次の国際取材部長の本命と目されていたソウル支局長の棚橋聡は代わりに編集長の発令を受けた。棚橋と仲良しの同期で、もう一人の国際取材部長候補と見做されていたパリ支局長の大友雄二は帰任し、国際取材部のIT・衛星担当部長になる。きついデスク業務も外れる。棚橋とは差がついたが、本人の体調が万全ではないから仕方ない。半ばリハビリだった。ロンドン支局の山瀬孝則は残留だ。
 
 菜々子とは反りが合わなかったニュース制作部長の雨宮富士子は総務局コンプライアンス担当局次長に転出した。代表の意向を踏まえつつも菜々子を守り、取材本位の態勢を築くという、矢吹の苦心の人事だった。そして、この態勢なら、あのネタを放送する暁にも不都合は生じにくい。
 
 この日、ワシントン・ポスト紙の日曜版は次の米朝交渉が6月上旬に漸く開催される見通しと報じた。前回交渉で最初の基本合意が発表されてから一ヶ月程間が空くが、やはり下拵えに時間を要するのだろう。テーマは最大の焦点となる核管理問題だ。交渉は幸いに暗礁に乗り上げていない。

 
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これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎
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