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物語はつづく、絶望を連れて。

こんばんは、ありちゃんです。

こうやって改めて言葉にするのに半年以上掛かってしまいましたが、実は2023年6月29日(木)am5:00、15年7ヶ月一緒に暮らしてきた愛犬のビビが天国に旅立ちました。

ビビ、女の子。とにかくご飯が大好き。犬のくせに犬は苦手。

私の13歳の誕生日をきっかけに我が家にやってきて、そこから私が28歳になるまで、本当に多くの時間を共にしました。

これからもビビの存在を忘れることはない、と自信を持って言い切れます。けれど、ビビと過ごした日常の温度だったり、ビビが亡くなった時の絶望感は、少しずつ少しずつ、日常に溶けて鮮明じゃなくなっていってしまうのも、事実だと思うんです。

5年後、10年後、20年後の私も引きつづき、ビビに対する感情をより多く、そしてより強く自分に刻んでおきたい。そのために、noteにビビとの思い出をまとめることにしました。
私と同じく、愛してやまないペットがいる人、また、生前ビビを可愛がってくれた友達のみんなに届くと嬉しいです。

※一部、死に近づいていく過程で当時の生々しい表現が記載されています。苦手な方は、特に記事後半の閲読を控えていただくようお願いします。

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ビビとの出会い


まずは、ビビとの出会いから。
ビビと出会ったのは、私が13歳の時。
私は昔から動物が大好きで、ずっと犬を飼うことに憧れていたけれど、母の許しを得ることが出来ず、もどかしい日々を過ごしていた。

13歳の誕生日が近づいてきたとある日、
「誕生日プレゼント、何が欲しい?」と尋ねる両親に、「犬が欲しい」と私は即答。今まで何度も「犬が欲しい」と伝えてきていたものの、「はいはい」程度で流されていたので、ダメ元で伝えていたのに、変化は突然訪れる。

中学校からの帰宅途中、父からメールが届いた。
「突然ですが、マジで犬を飼いましょう。犬種はキャバリアにします。お母さんの説得は、君は任せた」。
なぜ父がいきなり犬を飼おうと思ったのかはわからないけれど、突然の朗報にすごく興奮したのを覚えている。

その時初めて聞いた、「キャバリア」という言葉。たしか当時はミニチュアダックスフンドなどが流行っていたので、一体どんな犬種なんだろう?とドキドキしながら、すぐに調べた。白と茶色のミックスカラーに、ぎょろりとした目元。そして体型は中型犬くらいだと知った。
実は、1番最初に思った感情は「あんまり可愛くない」だった。

もっと小さくて分かりやすく可愛い犬がほしいと思っていた私は、帰宅後すぐに「もっと可愛い犬が欲しい」と父親に伝えた。すると「ペットショップですごく可愛いキャバリアを見つけたんだよ。今度の土日に皆でその子を見に行こう」と返される。そのキャバリアが、ビビだった。

後日、車で目的のペットショップに家族で行き、まだ生まれて2ヶ月くらいだったビビを抱っこさせてもらった。そんなに可愛くないんだろう、と期待せず会いに行ったのに、初めて会ったビビは想像を超えるくらい可愛くて、その日のうちに父が「この子を飼います」と即契約。数週間後、我が家にビビがやってきた。ずっと反対していた母は、最初こそ嫌がっていたけれど、数日もするとビビの虜になっていた。

まだ生後数ヶ月のビビ。ちなみにビビの名付け親は私。
当時好きだった漫画のキャラクターの名前からとっただけという13歳らしい理由


変わっていく、いつもの日常


そこから、我が家に犬がいる生活が始まった。
生後3ヶ月くらいで我が家にきたので、赤ちゃん用の食事メニューを作ったり、1からトイレの場所を覚えさせたり、おすわりやお手などの基本的な躾を覚えさせたりした。

日々のトイレシート替えや、毛並みのブラッシングなど、今まではやる必要のなかった事が、一気に増えていった。正直面倒だと思うこともあったけど、なぜか毎日幸せだった。面倒なことが増えているのに、なんで幸せは増えているんだろう?と漠然と不思議に思っていたけど、今ならわかる。幸せって、面倒くさいのだ。

お散歩デビューの時は、外を怖がって全く歩かなかった。母と一緒に「大丈夫かな?ちゃんとお散歩できるかな?」と心配もしたのも束の間、歩き始めてみると秒でお散歩大好きっ子になった。

外に出るだけで、尻尾がはち切れるくらい喜んでくれるので、家族みんなで出かけることが増えた。「ビビのために」という家族共通の目的が生まれてから、家族の仲もどんどん良くなっていったと思う。高校生になって、遅めの反抗期が私にきて、家の中に居場所がない時期も、ビビという居場所だけは私の中に、常に存在してくれた。

目を離した隙に、ビビがチョコレートを大量に食べちゃっていたり、1日中ビビがおしっこをしなくて、夜間動物病院に駆け込んだら、病院についた途端に大量のおしっこをされたり、階段から降りた時に突然脱臼してしまって、ビビの右足が曲げられなくなって大慌てしたり
色んなハプニングもあったけど、それでも1つ1つを家族みんなで乗り越えて、笑い話にして、ありふれた日常だったけど、数えきれないほど幸せな瞬間の積み重ねだった。


ティッシュもよくビリビリにされました。犬ってティッシュ好きだよね


多分大学生くらいのとき。家族でランチした後の何気ない一枚



ビビの体の変化



ビビが家に来てから12〜13年経った頃。僧帽弁閉鎖不全(そうぼうべんへいさふぜん)症という病気にかかった。心臓の弁のひとつが正常に働かなくなって、心臓の中で血液が逆流してしまう病気だ。
もともとキャバリアは、心臓が弱い傾向があると言われている。なかでも僧帽弁閉鎖不全症は死因として挙げられる、代表的な病気の1つだった。

左心房と左心室の間にある僧帽弁が変性して上手く閉まらなくなってしまうので、血液が逆流するだけでなく、肺に水分が溜まっていってしまうという特徴がある。

肺に水分が溜まる、ということは溺死と同じ状態になるということ。地上にいるのに、少しずつ息ができなくなって、まるで溺れるかのように、もがき苦しみながら亡くなる、という死に方だ。

この時初めて、「死に方にも種類がある」という新しい着眼点が私の中に生まれた。穏やかな死もあれば、ものすごく苦しむ死もある。「死」は誰にでも平等に訪れるものだ、くらいにしか考えていなかったけど、「死に方」は全然平等じゃないのかもしれない。

苦しみながら死んでいく事態を避けるには、心臓の手術が必須だった。成功確率は90%くらいで、費用はたしか200万円程度。心臓自体を切って、中にある弁を縫う、といった内容だ。

成功率90%という数字は、普段なら高確率だと安心できるのに、その時は全く頼りないように感じた。失敗率10%という数字がすごく大きいと思ったし、それに、こんなに小さくて可愛らしい生物に対して、心臓を直接切るような酷い手術をさせることが、苦しくてたまらなかった。

それでも、私たちはビビと1秒でも長く一緒にいたい。そしてもがきながらビビが死んでいくのだけは絶対に許せない、という想いは家族共通だった。ただ祈ることしかなくて、いつもより多くビビの写真を撮りながら、手術日を待った。

結果、手術は無事成功した。
術後のビビは、心臓部分の毛を全部剃られ、心臓付近に傷があったりと、見ていて痛々しい状態ではあったけれど、生きている。それだけで、本当に嬉しかった。

手術の傷を見るたびに、私よりも圧倒的に小さくて、私よりも生きている時間も圧倒的に短い存在が、心臓を切る大手術を乗り越えた事実を痛感した。大人な私でさえ、心臓の手術をするなんて怖すぎる。そんな手術を乗り越えられたビビは、すごくすごく強い子だなと思った。

家族みんなで読んだ本
手術が終わって数日後のビビ
入院中のビビ

ビビとの別れ


手術は無事成功して、心臓は正常に働くようにはなったものの、ビビはすでに老犬だ。手術以降少し免疫が落ちてしまうようになって、小さな変化ではあるけれど、いつかくる永遠の別れに私たち家族が耐えられるように、心の準備をさせてくれるようなサインを日常的に出し始めるようになった。

綺麗な真っ茶色だった毛並みに白髪が増えていく。
ふわふわだった毛質が、パサパサに変わっていく。
今までは完璧だったトイレが、失敗が増えていく。
次第には、毎日のようにお漏らしをするのでオムツが必須になる。
少しずつ耳が聞こえなくなって、呼んでも反応が鈍くなる。
目がじんわりと白くなる。
今までは楽々飛び乗っていたソファに登れなくなる。
昼夜逆転して、夜中の2時に起き始めるようになる。

そんなビビを隣で見て、「歳とったなあ」なんて感じることも多かったが、それでも、ビビは常にあっけらかんとしていた。

たとえ自分の世界から音が無くなっても、朝は気持ちよさそうに起きて、ご飯をもらうとこれでもかってくらい喜んで、自由気ままに人生を楽しんでいた。
「ビビ、耳が聞こえなくなって怖くないの?」って聞いたこともあったけど、ビビは自分の人生に降りかかってくる出来事すべてを認め、受け入れ、それでも前向きに生きているように私にはずっと見えていた。
表面的な出来事を気にしたり、落ち込んだりしている私なんかより、ずっと本質的で真っ直ぐな生き方をしているビビがいつもかっこよくて好きだった。

そんな中、私も気付いたら27歳になり、家を出るか、悩んだタイミングがあった。このタイミングでビビの側から離れるのはどうなんだろう?と思う自分もいたが、実家が電車にのればすぐ帰れる距離だという事から、私は家を出て一人暮らしを始める事にした。

そして、私が一人暮らしをしてから約1年後くらい。母親から「最近ビビが認知症がはじまったの。家に帰れる時があったらちょくちょく顔を出してあげて」と連絡がきた。

その連絡がきたのがだいたい2023年4月あたり。すぐに実家に帰ったら、ビビが家の中をずっとグルグルしていた。初めて見る光景に戸惑ったが、調べてみると犬の認知症の症状として、同じところをグルグルと歩き回る事があると知った。

なんとなくビビの表情も不安そうだったし、初めて見るビビの姿に、私も戸惑いが隠せなかった。またその1週間後に実家に帰ったら、引きつづき歩き回っているのは変わらないけれど、表情が先週よりも明らかに曇っていた。

たった1週間しか経っていないのに、短期間でこんなにも老いてしまうの?と驚いた。(実際ビビはこの2ヶ月後の6月に亡くなったので、犬の最後は、多分意外とあっけない。もしまだ隣に最愛のペットがいる人がいたら、終わりは本当に急にきてしまうという事実を知ってほしいなと思う。)

そこからは、ビビの老いは一気に加速した。

目がほとんど見えなくなり、色んなところに挟まったり、ぶつかる。
お水も自分では飲めなくなり、定期的に口元に運ぶ必要がある。
定期的に呼吸が乱れてしまう。
体中がウンチまみれになりながら、徘徊しつづける。
しだいには徘徊も止まり、寝たきりの生活になる。

今まで介護をしたことがなかったけど、介護ってこういう感じなんだと知った。最後の1、2ヶ月はずっと誰かが見ていないといけない状態で、幸い母がずっと家にいてくれた。母の存在に感謝をしながら、私は日中は仕事をして、夜定期的に実家に帰る生活を送った。

そうして、2023年6月25日。父から「ビビが食欲がなくなってきた。反応も乏しいし、旅立つ日が近いと思う」という連絡を受けた。
そこから私は仕事をストップし、実家に完全に帰省した。調べると、犬がご飯を食べなくなったら、だいたい残りあと1週間程度の命という合図になっているらしい。

もうこの時点では体を自分で起こすのも難しくて、自分で寝返りもうてないから、数時間おきに体の体制を逆にしてあげて床ずれが起きないようにする必要があった。
ゆっくりと呼吸をするビビをみて、残された時間が後わずかであることは明らかだった。私は毎日のようにビビと一緒に横たわって、一方的に喋りかけながらボロボロ泣いた。

私は自営業なので、比較的仕事の調整はしやすい。だけど、その時だけたまたま数日後に絶対に休めない登壇の仕事が入っていた。こういう時に限って休めない仕事が入っている運の悪さを呪いながら、その仕事が終わるまでは頑張ってくれないかな、とか、そもそも生き物が息絶える瞬間を見たことがなかったので、ちゃんと安らかにいってくれるのかなとか、色んなことを考えていた。

2023年6月28日。
夜、ビビが痙攣を起こしたり、息をするのがまた一段階くらい苦しそうになった。そして、口の中から今まで嗅いだ事ないような異臭を放つようになった。

いよいよビビが旅立ってしまうのかもしれない。家族みんなでビビを囲って、たしか1時間くらいずっとビビに触れながら、見守っていた。
ちょうど次の日が、絶対に休めない登壇イベントの日だった。そして父も、自営業かつお客さんを抱えている仕事なので仕事を休めるわけもなく、「お願いだから明日私たちが仕事を終えて帰ってくるまで耐えてね」と語りつづけた。

時刻が24時を回り、母から「明日仕事なんだから、もう寝なさい」と言われる。「寝ずに、ビビを見守っていたい」と伝えるが、父からも「お父さんも翌日仕事だから寝ないといけない。大丈夫、お父さんがビビと一緒に寝るから」と言われ、ビビは父と一緒に寝室に移動した。
こんなに体調が悪そうなのに、朝がくるまでビビはもつのか?という不安と、たしかに明日の登壇イベント、徹夜明けでいって本領を発揮できるのか?という不安で戸惑っていたら、母から「大丈夫、ビビは朝まで持ってくれるよ」と言われ、その言葉を信じ、私も布団に入る事ことにした。

私がこのまま寝て、朝起きたらビビがいない世界になっていたらどうしようか?これからのビビがいない世界を、私はどう生きていこうか?15年以上ともに生きてきた存在との最期は、どう過ごすのが後悔しないのか?何をしたって、後悔しないわけがないのか?

色んな考えが頭の中に途絶えなくてキリがないので、朝起きて、「ああ、よかった、ビビがまだ生きていた!」と言っている姿だけを想像しながら、こういう時だけ都合よく、神様に祈りながら眠りについた。

ふと意識が戻った。気づいたらちゃんと眠れていたみたいだ。
なんだか寝室から、父と母の声がほんのり聞こえる。
ああ、お父さんとお母さんの声で起きたのか、と思った。とはいえ、ほんのり聞こえる程度の声だったから、こんな些細な音で起きるなんて、やっぱり睡眠は浅かったんだなぁ、とのんびり寝ぼけながら思い、その後すぐにハッと現実に戻る。

昨日の夜、ビビの体調がすごく悪かったこと。
目が覚めて、ビビがいない世界線になっていたらどうしようと思いながら眠りについたこと。
あれからもう数時間が経過しているということ。
そして今、ビビがいる寝室から父と母の声がする、ということ。

言葉自体ははっきり聞こえなくて、何を話しているかわからなかった。でも、何かを話している。行くべきか、行かないべきか。1分程度体が動かなかった。
だけど直感で行くべきだと思い、父の寝室に向かった。
ドアを開けた途端目の前に映ったのは、父のベッドに横たわるビビを、父と母が囲っている光景。涙声で母が私に向かって「ビビが‥‥」と言った。

ビビは、目を開けた状態で、息を引き取っていた。

何も言えない私に、父が「ちょうど5分前くらいに息を引き取った。お父さんがたまたまトイレに目が覚めて、ベッドに帰ってきたらまだビビが息をしていたから、よかった、まだ生きてくれてたと思って、しばらくビビを眺めていたんだ。そしたら急に、グオーッて、聞いた事ない呼吸をして、さらにもう一度、グオオオーッていう、さらに深い呼吸をしたな、と思ったら、そのまま動かなくなった。もしかして、と思い、呼吸の音を聞いたら、止まっていた」と教えてくれた。

私自身、ビビの最後を看取る事ができなかった。たったの5分、間に合わなかった。やっぱりあの時、大丈夫なんて根拠のない言葉を信じずに、最後まで側にいるべきだったと思った。

父が医療関係者だったので、死後硬直が始まる前に体を固定させたり、漏らしてしまった老廃物を処理したり、体液が漏れないように体中の穴に綿を詰めるなどの作業をしてくれた。私は、ただそれをぼーっとみていた。

ちょうどビビが亡くなったのが、午前5時ぴったりくらい。
この日、私は登壇の仕事の日で、10時に家を出ないといけなかったけれど、幸いあと5時間くらいある。もし家を出る1時間前にビビが亡くなってしまったら、今日の登壇イベント自体無理だったかもしれないから、5時間あることが有難いなと思った。

それから、家を出ないといけない時間まで、たくさん泣いて、泣いて、また泣いた。数時間も泣いてくると、少し気持ちが落ち着いてきて、少しずつ目の前の現実を直視できるようになった。

なんとかその日は登壇イベントを無事に終え、帰路につく時には、「果たしてビビはちゃんと苦しまずに逝けたのだろうか?」という新しい不安が私を襲っていた。

父は、穏やかに息を引き取った、といっていたが、果たして本当だろうか?息ができなくなる瞬間って、どんな感覚なんだろうか、苦しくない穏やかな息の引き取り方なんてあるのだろうか?

最期を見とれなかったからこそ、私や家族がスヤスヤ穏やかに寝ている時に、ビビはたった一人で苦しい夜を過ごしていたらどうしよう、という憶測の不安が尽きなくて、けどこの苦しさは、どこにもぶつける場所もなければ、事実を明確にする方法ももうない。ただ苦しさを自分の胸の中に押し込めて、この痛みに必死に自分を慣れさせるしか道はなかったので、まだ愛犬が側にいる人たちは、出来るだけ最期を見とれた方が、まだ後悔は少ないんじゃないかなと思う。

そして数日間後、ビビを火葬場に連れて行った。

今日ここまで全く涙を見せなかった無愛想な父も、火葬場では泣いていた。家族が泣いてる姿なんてここ数年見ていなかったし、家族全員で一緒に泣く、なんて事こと今までの人生になかったように思う。「絶対にまた会えるからね、大丈夫だからね」と最期ビビに伝えて、大好きなビビをお空に見送った。

今、わたしが想うこと。

ここまでかなり長い文章になってしまったと思いますが、
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

最後に、今の私が想うことを。

時間が経てば、少しずつこの痛みが和らいで、また前を向いて生きていけるようになるのかな、と当時は思っていました。けれど数ヶ月経った今、そうじゃないんだなと気付きました。

きっと私は、これから先の人生、ずっとビビがいないという絶望と共に生きていくだけなんだと思います。ビビがいない限り、私の心に空いた空白は埋まることはなくて、それは時間が解決するものではないんです。一生、これは死ぬまで埋まらない穴なんだな、と、経験して初めて知りました。

そんな大きな心の穴が今の私にはありますが、じゃあビビを飼ったことを後悔しているか?と聞かれたら、もちろん答えはNOです。ビビと家族になる、という選択は、私の今までの人生にあった選択の中でも、1番の正解でした。

生きていれば、どうしようもなく辛くなる時は誰にだってありますよね。
人生は良いことばかりじゃないし、人間って時にすごく残酷な生き物な気もします。私は怖がりなので、【友達だって、一生裏切らない保証があるわけではない】【恋人だって、自分のことをずっと好きでいつづけてくれる保証もない】【努力して積み上げた成功だって、いつ崩れてしまうかわからないし、実績がなくなったら離れていってしまう人も山ほどいるかもしれない】なんて考えが、よく頭の中をよぎって、たまらなく孤独を感じたりする時があります。

誰かのことを信用したいけど、でもどこかで完全に信用するのは少し怖くて。一人は嫌なのに、どこまでいっても永遠に一人のような感覚がしていた私の世界で、ビビだけは常に私の側にいてくれました。

優しい気持ちの時も、冷たい気持ちの時も、調子がいい時も、悪い時も、仕事の成果が出た時も、出てない時も、全部を丸ごと受け入れて、側にいてくれる。何も変わらずに、真っ直ぐな瞳で向き合ってくれて、ずっと信じてくれる。ビビという存在に、私の今までの人生は大きく支えられていたように思います。

私がビビと出会えて幸せだった分、ビビも天国で同じように思ってくれていたら嬉しいです。

大好きなビビ、本当に私の人生に登場してくれてありがとう。また天国であなたに会えることを楽しみに、これからも引き続き自分らしく、生きていきます。



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