ものと語りと語られぬもの①
情報資格試験さんに記事をお書きいただきました。この回から、3回続きます。2019年の上越アール・ブリュット展についての記事はこちら。
お疲れ様です、情報資格試験(じょうほうしかくしけん)です。
よろしくお願いいたします。
口語文から文語文にしますので、印象も変わるはずです。
より賢いように見えれば幸いです。
さて、
・情報資格試験とは
・もの思う当事者
・「ものと語り」のその後に
・これからの活動
このあたりを順に記していこうと思います。
・情報資格試験とは
私は就職し、離職した後に障害者の手帳を取得しました。
手帳を手にする瞬間までは、障害者ではなく、
手帳を手にした瞬間からは、障害者として生きています。
つまり障害当事者ではない感覚で半生を過ごしています。
だからこそ、「障害者」「健常者」どちらにも属せない感覚も持ち得ています。
(社会的にはバリバリ障害者なんですけど)
また本名を名乗っていないので、身元をぼやかすことで少し危険な発言もここで出来ると思い、吐露いたしますが、
家族には身体障害1級で、言語や行動において難のある者もあり
私とは別に定期的に精神科や心療内科に通院している者もあります。
そんな状態から、自分が障害者になる、という背景があります。
ああ、終わってんな。
また、家族同士でお互いの障害や問題について
深くつっこむ関係にはないので、
家族の詳細についても私は知っておらず
私の詳細についても家族は知っていない、という世間からすれば歪な関係かもしれません。
そんな存在が、情報資格試験です。
・もの思う当事者
私は殺陣(たて)という表現を行っていました。
時代劇で斬ったり斬られたり、という表現です。アクションパフォーマンスとしても見ることができますし、武芸の派生としても見ることができます。
そこでは、どう見せるのか、というのも追求していきます。
カメラやお客さんの位置、視線移動、死角(カメラから見えないところ・カメラには映らないところ)から
人物の登場からはけるシーン、場面の盛り上がりや脚色、演出まで考えます。
武器と武器がぶつかる、チャンチャンバラバラの部分だけを行っていたわけではありません。
それが「上越アール・ブリュット公募展」にノミネートされて、思うところがありました。
ものと語りで語られぬものを、ここで語りましょう。
自分としては、こういう見せ方をしたいという意向を示し、それを汲んでもらって公募展が構成されていきました。
武器を持ってそれを振り回す都合、絶対にケガをしたりさせたりすることは厳禁で、
その不安があり安全が担保されない場合はパフォーマンスはできないものとキツく教えられていました。
そのため、大きな範囲を確保してもらうようお願いし、それを汲んでもらって企画されていきましたが直前になっての場所や範囲の変更。
ありえない。
と思うも、もちろん企画する方々は危険性を把握されていない・私も十分な安全に関する説明が出来ていなかったことに起因しますが
アドリブ対応も行っていたので何とか展示に漕ぎつけました。
黒いカーペットを敷こう。
何を言っているんだ?
展示場所が変更された後に、さらに床にカーペットが敷かれることになりました。
激しい動きをする中で足元は和装にあわせるために足袋を履きますが、水田作業用の耐水足袋で小雨程度の屋外でもアクションができるものになっています。
長靴のような生地を想像いただき、その長靴でカーペットの上で飛んだり跳ねたりしたらどうなるか――テープでとめられたカーペットは私が動くたびに巻きあがることになりました。
そして当日。会場入口の案内で
「この作品展は何らかの障害を抱えている人たちにより――」という表記。
ああ、それを言ってしまうのか。
私は表現において、ある程度、自分の世界へ誘い込む自信はありました。
そこで作品にひきつけておいて、最後に
「大事なことを忘れていませんか? この表現をしているのは実は障害者なんですよ」
という大オチを、まさか展示会の入口でやられるとは。
挙句、最後の撤去の際に、刀をスタッフに踏まれるという惨事も。
これは、いくら斬れないからとはいえ、刀の形をしたものを扱ったことがある人にとってはこの上ない行為でした。
さあ、そんなことがあってでの、終了直後のインタビューでした。
これで先述記事のインタビューの読み方も、何か変わると思いませんか?
なるほど、感動ポルノとは、この一種か。
私はそう感じました。
当事者は、こうだ、こう思ってこう表現したいのだ
と思ったところで、
こっちのほうがきっと良い、こっちのほうが受ける、映える――こっちのほうが消費される、ニーズに応えている、きっとこれが働いているんだろうなあと強く感じました。
ニーズに沿うにはどうしたらよいか、
自分の表現をどこまで潰せるか、それを自分がどこまで容認できるか。
家族が、支援者が「きっとこうだったら善いんだろうなあ」という希望的観測を乗せて、何気ないものが「作品」になっていったのだと思いました。
悲しい、つらいという表現も、きっとこっちの意味の方が楽しいでしょう、
きっとこっちの気持ちの方が似合っている。
そう再表現された瞬間、本来の表現はとうに姿を消し、見たい人が見たいものに、感じたい人が感じたいままにすり替わる。
けれどそれは万物にも言えることになってしまう。
結局は発信者と受信者の中、また介在する人によって歪むわけです。
私の家族関係が歪と思う人もあれば、それもひとつの家族の在る姿だったりもするわけで。
次回は
・「ものと語り」のその後に
・これからの活動
について、お示しできればと思っています。
この経験を経て、どう動いていったのかを記していきます。