第1話 流星群と褪せた文字

ゆみさんの前世がキャシー
Mさんの前世がエミリーです


流星群と褪せた文字



きゃっきゃと楽しげな声を上げながら、ふたりの⼦どもが駆け抜けて⾏った。郊外の散歩道、 バラの咲き誇る柵の隙間を潜り抜けた後、ふいに⽚⽅の⼦どもが⼩さく叫び声を上げた。
「待ってちょうだい、キャシー!バラの棘が服に絡まっちゃったわ。動けないの…お願い、 待って!」
「エミリー姉様ったらドジなんだから。ほら待って、あたしが今解くから泣いちゃだめ!」
キャシーとエミリーは、歳が三歳離れた姉妹である。キャシーの⽅が歳は下だがしっかりし ており、妹ながらよく姉であるエミリーの世話をしていた。表情はとても豊かで、お転婆な ⼦どもであった。⼀⽅エミリーはおずおずとした性格で、⾃⼰主張が少なく、あまり⼈と⽬ を合わせるのを好まない。対照的な性格をしていながら、⼆⼈ともよく似た容姿をしていて、 明るい茶⾊の髪と緑⾊の⽬が綺麗な妖精のような少⼥たちであった。キャシーの髪は細く、 ⻑く、⾼い位置で結い上げられ、⽑先が縦に綺麗に巻いていた。⼀⽅、エミリーの髪には巻 きはなく、ふんわりと柔らかく腰の位置まで下ろされていた。 ⽩い指先が丁寧にバラの棘から服を解いていく。
「…はい、取れた!⺟様ったら、エミリー姉様が何度引っ掛けてレースを駄⽬にしても裾に も袖にもレースを縫い付けるんだから。⽗様はいなくなってあたし達を⾷べさせるのでギリギリなのにね。もう!ほら、泣かないの。エミリー姉様は私の姉様でしょ?」
「うう、そうだけど私いつもこうで…ごめんなさい、キャシー」
「ううん。あたしが好きでやっていることだからエミリー姉様は気にしないでいいの」
いたずらっぽくにこっと笑い、キャシーはエミリーを⼿招いた。早く早くと、⼦供らしい⾼ い声で何度も名前を呼ぶ。
「エミリー姉様、ねえねえ、今、あたし達、とっても悪いことをしてるの。⾒て、ここは少 し⾼いから、空が⾼くてまあるいわ。こんな時間に外で遊んで、⺟様、もし気づいたらかっかと怒るかな」
「怒るかもしれないわ。平気だといいけど…ちょっと怖いわね。⺟様、きっとまた全部キャ シーのわがままのせいにするわよ」
「エミリー姉様はあたしのわがまま聞いてくれるんだもの。あたし、⺟様にわがままって叱 られたってどうだっていい」
「でも…夜にはお化けのジャックが出るって⺟様⾔っていたし…」
「お化けのジャックなんているわけないじゃない。他の家の⼦は聞いたことないって⾔う し、うちの⺟様があたしたちを脅してるのよ。あっ、⾒て⾒て!エミリー姉様!よく⾒え る!」
「待ってよキャシー、あ!本当!すっごく綺麗ね!」
丘を登りきったその頂上で、少⼥達はふたり揃って空を指差していた。 ⺠家の明かりも消えた時間、ガス灯のある通りからも少し離れたこの丘は、新⽉も相まって とても暗い。暗幕を引いたような空には無数の星が輝いていて、少⼥たちの指差す⽅からは、 放射状に、すっと筆を滑らせるように⽩い星が天蓋を流れ去っていく。
「流星群って、本当に綺麗なのね」
ほうとため息をつきながらエミリーがうっとりと呟く。キャシーは⾃信満々といった表情 で⼤きく頷き、腰に⼿を当てた。
「エミリー姉様がラジオで聞いたのを教えてくれたからあたし達来れたの!」
「ふふ、ありがとう。誘ってくれたのはキャシーよ。…綺麗だけど少し静かすぎるわ。ねえ、 キャシー、歌を歌って。私、キャシーの歌が⼤好きなの」
「任せて!」
すっと息を⼤きく吸い込み、キャシーは美しい旋律を紡ぎ出した。⼤⼈に⾒つかることを恐 れて少し抑えられた透明感のある声が、闇の中へと溶けていく。ふたりの⼤きな⽬に満天の星空が映る。ふたりはきらきらとしたそれを瞬きの度に瞳の奥にそっと幾度も隠す。そのうち、はっと我に返ったようにキャシーがその⼩さな両⼿で⼝元を覆った。
「エミリー姉様、どうしよう。⼤切なことを忘れていたわ。あたし達何もお願い事をしてな い!でもそろそろ帰らないと本当に⺟様に⾒つかっちゃうし…」
「えっと、そうね、私も考えていなかったわ」
ほんの少しの時間、ふたりは黙って考えていたが、ふいにキャシーが、あっと声を上げた。
「エミリー姉様、決めたわ。また流星群が来たらこっそりふたりでまた⾒に来よう。来年も 再来年も!」
「ふふ、それはお願い事じゃなくて私との約束ね」
「だめだった?」
しょぼくれるキャシーの頭を撫でて、エミリーは優しく微笑んだ。
「いいえ、素敵なお願い事だと思うわ。これから先、ずーっと、⼿がしわくちゃになってお 祖⺟様みたいになるまで、私達ふたりで毎年星を⾒に来ましょう」
「本当に?嬉しい!」
「お星様が叶えてくれるわ。ほら、キャシー、また星が流れているわ。ふたりでお願い事を しましょう」
「うん!」
ふたりの⾒上げる空に星が流れる。ふたり揃って指を組んで早⼝で願い事を⾔ったふたり は、くすくすと笑いながら、帰路についた。スキップをしては振り返るキャシーと、ゆっく り歩くエミリー。誰も知らない⼦ども達の約束を星々は⾒守っていた。

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