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郷土料理思考

料理を大雑把に2つに分けてみると,素材勝ちと調味料勝ちになる。とします。素材勝ちは素材の味が感じられる一般的な薄味。和食はこちらが多い。調味料勝ちは素材の味が薄く,調味料の味が強く感じられる濃い味。洋食,アジア料理などはこちらが多い。最近はこれが混ざってきてて,一様には言えないですね。
郷土料理をどちらに入れるかとなると,ほとんどは調味料勝ちになる。と思う。僕が青森出身なのも大きいです。保存が必要な土地ですし。まあ,例外は置いて。
でもなんで調味料勝ちになったのか考えると,僕らが子供の頃,僕は今41歳です。80年代90年代,調味料が各メーカーからどんどん開発されて販売され増えていってる時。経済的にも誰でも自由に選んで買える状況になっていました。郷土料理は環境から生まれる味。だけどこの頃は少し役割を失って,新しい調味料が元々のレシピを塗り替えていった時期でもあります。環境から生まれる味から舌で生み出す味へ。現在のニュース番組を見ても,人間,刺激的なものと刺激のないものだと刺激のある方に目がいってしまうようです。そんな性が,郷土料理をどんどん調味料勝ちにしていったのかなという,仮説笑
日本各地の個性的な環境から生まれていた郷土料理は,日本中どこの環境も同じく,北から南どこのスーパーに行っても同じものが売っていて。環境が平坦になってしまうと,没個性で,環境の味は形成されづらくなります。環境勝ちから人間勝ちになっていったということかもしれないです。
郷土料理を学んでいて勉強になるのは,自分の身の回りの食材を活かすことが,大切だ。と教えてくれることだと思ってます。

素材勝ち,調味料勝ち。もう一つここで見立ての料理。というのが出てきます。こを
今回酒坊主に郷土料理を作ってもらおうと考えたのは,トモは見立ての料理が上手いんですよね。分解して,別のものに置き換えるのも上手い。郷土料理は自分の身の回りの食材を生かす料理。なんですきっと。僕自身,家にどんどん調味料が増えて,飽和していった記憶があるのですが,料理好きな人ならきっとありますよね?使いきれなかった香辛料。冷蔵庫に一年以上ある瓶詰め。使いきれない野菜。そういう気にならないけど心のしこりになりそうなものをすっきりさせてくれる考え方が郷土料理にはあるはずです。環境から生まれる味なので。
そこに見立てが必要です。レシピを読んでみた。醤油が必要だけど,ナンプラーはある。でもレシピには醤油と書いてあるから醤油を買いに行こう。酢はないけどレモンはある,でも酢を買いに行こう。味醂がないけど,熟れた柿がある。でも味醂を買いに行こう。
ここで見立ての感覚があれば,一手間省ける。買いに行く手間がなくなると考えてます。
それは,もしかしたら元々のレシピとは違う味になるかも。でもそれが,環境の味になるのかも。今は地域で括るのは難しい状況だけど,それぞれの台所の環境でできる味が2020年の郷土料理なのかも。出来ればそれが地域の食材と結びついていれば文化になっていくのかも。と,思う高谷でした。
今回,ともには青森の郷土料理を4つ伝えてあります。僕は調味料勝ちな味付けをします。ともは多分素材勝ちで見立てを入れた料理をしてくれます。それは,今回は作られた環境ではあるけど,食べた人がそれぞれ発見があり,自分の台所を活かせる手伝いになると嬉しいです。
それぞれの台所の味が,それぞれの環境の味で,2020年の郷土料理はそんな感じかもです。

郷土料理をコンテンツとして言語化することの不誠実さも感じつつ。身の回りのものを活かすことが,無駄な買い物や生かされず消えていく食材が減ることで何か生まれたらと思います🙏

駄文に長文,支離滅裂で言葉に出来てないところも多く,失礼いたしました。

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