見出し画像

熟成、もしくは育て

日本酒の熟成や提供の温度をどう考えているか、知りたいと言う方もいらっしゃったので、自分なりの経験や考察を記事にしてみようと思います。

今回は熟成と保管温度の話です。

細かい提供温度(燗酒含)の話はまた別の時に。

日本酒において飲むタイミングの温度による味わいの変化は醍醐味の一つですが、時間が育む味わいの違いもまた奥深い要素の一つです。

熟成酒、どういったイメージがありますか?

角が取れ丸みを帯びて艶と張りのあるもの、色が付き玄米や糠のような枯れたフレーバーのもの、とろんとして熟したカカオのような雰囲気、紹興酒や味醂のような古酒。

様々ありますが、日本酒は日本酒として搾られ、誕生した瞬間から熟成=育ちが始まっています。刻一刻と人生の瞬間瞬間のようにその表情を変えて行きます。

私は原料であるお米や田んぼ、気候風土やその環境を連想するお酒が好きです。いわゆるテロワールを感じるものが「地酒」だと思っています。「地酒」にとっての本質的テロワールとは何なのか、端的に言うならば、日本酒を構成するあらゆる原料や要素が移動や再現が可能な今、環境やそこに生きる人達も含めて代替え不可能なモノの掛け合わせ(気候風土×人間)こそがテロワールの本質だと思っています。気候風土には原料を、人間にはその土地の人々の歴史を含みます。

その土地由来の強いテロワールを持ち、ポテンシャルを強く感じるような地酒の熟成の場合、何を引き出し、何を理想とするか。自分は、原料由来の風味がしっかりとあり、艶があり、伸びやかで、自然の持つ美しさに宿る品格やエレガンス、複雑さを持ちながら相反する要素が一体となり、調和の取れた状態を理想としています。

何が良いか悪いかは経験と趣味嗜好に左右される問題であって、そこに執着せず俯瞰してそのお酒の本質的な部分を引き出せたらと思っています。それは⚪︎か×と言った、二元的な要素では表現し切れないと常々感じています。

何事もそうですが、その「モノ」自体の魅力を引き出そうと思えばそれ自体のポテンシャルが大事で、最初から素晴らしさを持つ「モノ」に対しては、そこに愛情と少しの手間をかけその素晴らしさを引き出す事が人の出来る最善なのかなと思います。自然のアートは常に想像を超えていて、発見と驚きの連続です。

もちろん全ての日本酒が熟成に向く訳では無く、フレッシュさが魅力的に作られたものもあれば、様々なシーンを蔵がデザインしたものもあります。この多様性もまた日本酒の素晴らしい側面でもあります。

しかし経験上、間違いなく言えるのは、ポテンシャルの高い地酒はその魅力を十分に発揮するまである程度の時間を必要とする、と言う事です。産まれた瞬間から円熟味と深味を持ち合わせたモノは中々存在し難いです。

酒質やポテンシャルに合わせて、またはその人が目指すコンディション向けてどう扱うか、千差万別、熟成において正解はありません。逆に言うと間違いもありません、本質的に、それを味わい、そこに価値を感じる人がいて、そこに幸福な瞬間が存在すれば、そこに至る過程は全て正しかったと自分は思っています。

同じ日本酒が所有者や環境の違いで、まるで違う日本酒になる経験をした事がある方もいらっしゃると思います。ここ数年は取り扱いの蔵を絞り、同じ蔵の同じお酒の時期事の違いや、年度事の味わいの変化を敏感に感じ取り扱って来ましたので、その表情の差は一般的な消費者の思う以上である事を良く知っています。また農産物に近い、デザインされたテロワールでは無く、より自然に近い状態で醸された地酒では、それが当然のことでもあります。デザインされたテロワールもまた人間の叡智の結晶であり、これはこれで素晴らしいモノで、先に繋げて行くべきモノですが。

前提として自分は原酒での熟成を念頭に置いています。極微量の調整加水であれば別ですが、本来の地酒のポテンシャルを活かすには原酒のままの方が良いと思います。また液体容量によって熟成の速度や変化も変わります。タンク熟成なのか斗瓶か、はたまた一升、四合、それ以下のサイズと変わりますが、これは魚や肉にも言える事ですが、物理的に大きい方が緩やかに熟成します。

簡単な実験ですが、同じ日本酒を一升瓶と四合瓶で買って来て少し振動ストレスを取り、翌日くらいに味を見て(この時点で全く違うものもあります)その後涼しく日光の当たらない静かな場所で保管し1ヶ月後に呑んでみて下さい(要冷蔵のお酒は冷蔵庫でお願いします)。

全く違う味になっていて、驚くと思います。


・現在の熟成と保管の温度の考え方

一般的に飲食店で扱うサイズ、一升瓶での状態を想定しています。四合瓶での熟成は余程ポテンシャルが高く、その容量でも冷蔵スペースや時間、コストをかけるべき価値があると思ったものに限って寝かしています。一回、二回の火入れの回数は割愛、紫外線のカットも前提です。

もちろん全ての日本酒に当てはまる訳では無く、原料米特性による熟成の傾向や、蔵癖も加味して変える必要はありますが、あくまで現在の当店の環境と日本酒に限った話しになります。

◉−2度 火入れであれば追熟を止めて状態をキープしたいお酒、生酒に極緩やかな追熟を与えたい時の温度。あまり低過ぎる温度でも時間がかかり過ぎるのと、経験上酒質的に長熟向きなものは低温過ぎても熟成が綺麗なカーブを描かず、抜栓後の伸びが弱かったりと、味のバランスを崩す事もありました。この辺りは匙加減だと思います。

◉0度 すでにピークを迎えて近く提供し切る予定のお酒、季節商品系、熟成を想定しない生酒、−2度では成長が遅いなと感じる生酒等。

◉5度 通常の提供時の温度を想定した保管温度。火入れのお酒の穏やかな追熟、短期提供用に生酒の温度変化のストレスを緩和しつつ、提供時に冷え過ぎず、急激な温度変化によるお酒のストレスを無くし、適温に持っていきやすい温度。

◉7度 生酒の短期熟成用、半年以上スパンでの火入の緩やかな追熟、枯れた雰囲気を極力出さずに艶感を保った熟成を狙った温度。

◉10度〜15度 火入のさらに緩やかな追熟、短期で綺麗に味を整えたいもの、提供時に室温より少し冷えた温度で出したいお酒。生酒に熟した雰囲気を加味したい時等。

15度くらいを境に積算温度による変化も強く進む感覚があります。火入れのお酒に関しては、通年で冷蔵設備無くこれくらいの温度を維持出来たら個人的には理想かなと思います。

◉室温

冬場はそのまま、春先から秋にかけては25度を上回りそうな場合はエアコンを常時かけた状態です。こちらは温度のぶれ幅が大きく、ストレスもかかる状態ですので、短期か、そのような環境でも味の変化が緩やかな骨格のしっかりしたタイプ、もしくはその方が魅力的に育ちそうなお酒を保管しています。所謂いじめて育つタイプ。

ですが室温といっても温度変化が激しい場所や、首都圏での夏場の温度はお酒の保管や熟成には不向きで、味わいのバランスを崩す事が大半です。用途や嗜好が限られてくる事が多いので、ポテンシャルを引き出すと言う意味でも不向きです。コストがかからないのか利点ですが。反面、冷蔵設備を使った熟成はコストはかかりますが確実にお酒の新たな側面を引き出してくれ、未だ未開拓な分野でもあります。

本来は冷蔵設備も使わず、自然環境に任せた熟成による味わいの変化があるべき姿なのかなと思う事もあります(雪中貯蔵や洞窟熟成、良い環境に恵まれた冷や卸等、非常に綺麗な曲線を描いた熟成をしていると思います)では熟成=育ては自然環境の再現を理想とするかと問われると、そこに留まらない面白味や懐の深さもまた持ち合わせている気がします。

飲食店としてお酒を育てる上で大事にしているのは、そのポテンシャルを引き出し、お客様の瞬間の価値に繋げる事。嗜好品である以上好みもありますし、その方の経験や好みの段階にも左右されます。その間を取り持つ事、案内人になるのも仕事だと思っています。

ですが、嗜好品の域を超えた、まるで自然と人の共同作業による芸術のようなお酒が存在するのもまた事実です。個人的には、そういったお酒に触れる事によって、豊かで何事にも代え難い経験や瞬間を人生に与えてくれる力が地酒には宿っていると思っていて、そんな瞬間を伝えられたら最高だなと思い、お酒を育てています。

長々温度の事なんかも書きましたが、これはあくまでこちら側の指標であり手段でしかありません。

熟成や育てで、結局大事なのはその中身、呑む瞬間です。そこに正解も不正解も無い世界で大事なのは「お酒の声を聴く」これに尽きると思います。ラベルに書いてある情報は人間で言えば国籍性別と生年月日ぐらいの感覚です、それでその人の何が解るでしょうか?対話しなければ知る事は出来ません。

表面的に次から次へと新しいモノが誕生しては消えて行く世の中で、ただ消費するのでは無く、時間や諸々のコストをかけてまで、そのお酒の様々な姿を知りたい、ポテンシャルを引き出したい、共に素晴らしい瞬間を過ごしたい、という愛情と探究心こそが最高の環境だと思います。

そのような想いと環境があれば誰にでも出来る熟成=育て、の入口は、日本人と米、その人々の営みの歴史や、自然の持つ不可逆な芸術に繋がる深い深い道でもあります。

そんな素晴らしい熟成=育てに自分にチャレンジするも良し、外食で体験してみたい方がいらっしゃいましたら、お声かけ頂いても御案内出来るかと思います。

一期一会、あなたに呑まれる為に時を過ごして来たお酒が在るかもしれません。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?