人道的な観点を無視すれば太平洋戦争の特攻作戦は合理的かもしれない
太平洋戦争の特攻作戦については次のようなことが通説として語られる。
「もう負けが見えているのに無慈悲で無謀な大本営が狂気の特攻作戦を実行させた。参加した兵士達は勇敢に戦ったが無駄な死だった。」
果たしてそうだろうか?
島国日本の防衛戦略としては、合理的な戦略だったとも思える。日本が敗戦後に言語を奪われずに、国体をある程度維持できたのも、この防衛戦略があったからではないだろうか?
日本はドイツと違い周囲を海で囲まれた島国だ。当時でも一億人の人口をかかえ都市部を除けば食糧も自給できていた。
アメリカ軍がその上陸用の艦艇を駆使しても一億の国家を占領するための兵員を輸送するのは不可能だろう。ドイツを屈服させたのは、ノルマンディーから上陸し、その後、港から集まってきたアメリカではない。陸から攻めたソ連だ。
日本としては当時二万機以上残存していた航空戦力を利用して、水際でアメリカの艦船を沈めていけばよい。ドイツとイタリアは敗戦していたが、日本が退却したアジア諸国では西洋列強に対する独立戦争が始まっており、アメリカとて戦勝気分でいられる状態ではなかったはずだ。時間を稼ぐことで勝機もあったかもしれない。
日本は特攻作戦によりそのような状況を現出させ、南北アメリカ大陸やアフリカのような植民地支配を免れたのだ。
日本には古来、水際で敵を撃退して国を守ってきた実績がある。第二次大戦でも同じことをしたのだ。
おそらく、これから起きる戦争でも日本は同じことをするたろう。徹頭徹尾、敵の船を沈めて、上陸されても水際で押し返す。上陸されなければ占領されることもない。また、外国人を日本に多数移住させることも防がなければならない。内側から攻撃されるからだ。
人道的、倫理的な話と軍事戦略は分けて考えなければならない。日本は水際で押し返す、敵の海を押し渡る力を奪う、橋頭堡を作らせない。このことに全てのリソースを割くべきだ(今はまったく準備が出来ていない)。これが日本の勝ち筋なのだから。