北海道の歴史を捏造して嘘や印象操作で寄附を募る詐欺紛いの運動に注意
皆さんは北海道札幌市厚別区の野幌森林公園内にある北海道百年記念塔の解体反対運動で北海道歴史の捏造、嘘や印象操作で多額の寄附を募っているのをご存知だろうか?
北海道百年記念塔は、複雑な構造のため雨水が溜まりやすく腐食が予想以上に進み、1992年に塔内部(2億円)と1999年に外部(3.5億円)と大規模修繕を行うも完全修復には至らず、2014年7月から金属片の落下により立入禁止となり、高橋はるみ前北海道知事下で2019年2月に解体方針が決定していた。
約3年前くらいに道議会という民主主義プロセスを経て解体が決まった事なのだが、何故か約1年前くらいから元札幌市長候補の本間奈々をはじめとした自称愛国者(自称保守)らが解体反対を言い始めた。
解体反対派らの言っている内容で大まかなのは「北海道百年記念塔は開拓史の象徴」や「歴史的建造物」「建築文化財」「歴史遺産」などと言っている。
ちなみに、本間奈々は2011年と北海道百年記念塔が立入禁止となった2014年の翌年2015年に札幌市長選挙に出馬し、現札幌市長の秋元克広に負けており、お値段以上のニトリの会長は秋元克広の後援会顧問である。
それほど歴史の象徴と言うなら、なぜ2回目の札幌市長選挙で問題視しなかったのだろうか。謎である。
北海道百年記念塔の建設経緯
北海道百年記念塔は1962年の北海道百年記念事業の準備委員会にて当時の町村金五(故・町村信孝元官房長官の父)北海道知事が、ラシュモア山のアメリカ合衆国大統領彫刻を引き合いに大規模なモニュメント案が出されたのが発端で、その後に色々な協議等を経て以下の趣旨にて建設する事になった。
北海道百年記念塔なのだから、きちんと義務教育を受けていれば北海道百年記念塔が北海道100年目を記念する記念建造物というのは分かるものだ。
北海道百年記念塔建設案者のお礼状
北海道百年記念塔が北海道知事であった町村金五が建設案者であり、1962年の北海道百年記念事業の一環なのは分かっただろう。
建設案者であった町村金五が、1970年9月29日に北海道百年記念塔の建設費寄附者へ書いたお礼状の原稿が発見された。
少し長いのでポイントだけおさえるので全文ご覧になりたい方は下記の引用元からご覧になって欲しい。
建設の経緯、建設の趣旨、建設案者のお礼状を見れば北海道百年記念塔が開拓史の象徴ですら無く、名前の通り開道(北海道と命名)して100年目を記念する記念建造物なのは確定している。
解体反対のクラウドファンディングは差止め請求の訴訟費用として当初300万円だったが思いの外、集まったのか"おかわり"が行われ1000万円に届きそうだ。
クラウドファンディングには冒頭の画像に写っていた青山繁晴参院議員や山田宏参院議員、参政党の神谷宗幣参院議員が名を連ねているが、神谷宗幣に至っては過去、クラウドファンディングの支援者に嘘を吐いた事でサイト制作業者から刑事告訴され大阪地裁に送検されている。
開拓史は開拓使が設置されて始まった。
北海道開拓は、北海道と命名されてから始まったのでは無く、開拓使が北海道に置かれてから始まった。
開拓史は1869年7月8日から1882年2月8日まで置かれた日本の官庁であり、開拓使が置かれる前の北海道行政というのは箱館府(箱館県)が行なっていた。
その事から開拓史の象徴は開拓使が置かれた(入っていた)建物になる。
しかし、北海道開拓使の建物は北海道百年記念塔と同じく野幌森林公園内にある、北海道開拓の村で再現されているものとなっている。
解体反対派らは北海道開拓の村や同じく公園内にある博物館には一切触れず、北海道開拓史の象徴・歴史として北海道百年記念塔の解体反対運動やクラウドファンディングで大金を集めている。
ましてや一部の解体反対派には北海道百年記念塔の解体ら中国共産党による工作とまで言い出し始めており、三名の国会議員が名を連ねている解体反対運動は詐欺紛いな雰囲気を醸し出している。
嘘や印象操作、歴史を捏造しておいて日本の歴史を守れだのを見ていて、とても痛い人達と言える。