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ヒーローアカデミア名前差替え騒動で注目を浴びた731部隊のあった満州国とは?

2020年2月3日発売の週刊少年ジャンプで、大人気連載漫画「ヒーローアカデミア(通称 ヒロアカ)」で、登場した「志賀丸太」が、満州国に駐屯していた関東軍の防疫部隊「731部隊(通称 石井部隊)」で人体実験をする際に被験者を「マルタ」と呼んでいた事を連想させるとして韓国人や中国人から大批判があり、単行本で名前差替えするという騒動になった。

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ちなみに被験者を「マルタ」と呼んでいた事、人体実験をしていたというのは終戦後にソビエト連邦に捕虜となって約4年も拘束され尋問されて出てきた話であり、未だに人体実験をしたという物的証拠は見つかっておらず、インターネットで人体実験の証拠として出回ってる写真も他の引用物である事が判明しているデマである。

そのことは下記、記事で簡単に分かりやすく説明をしているので、ご覧になって欲しい。

そこで、本記事では731部隊のあった満州国について簡単にではあるが解説したい。果たして本当に関東軍の傀儡国だったのか?人体実験ができる環境だったのか?も含めて分かると思う。

なお、「関東軍」の名称は警備地の関東州に由来し(関東とは、万里の長城の東端とされた山海関の東側、つまり満州全体を意味する)、日本の関東地方とは関係ない。※Wikipedia

満州国建国まで

清は満州族の故地満州に当たる東三省(遼寧省・吉林省・黒竜江省)には総督を置かず、奉天府と呼ばれる独自の行政制度を持っていた。その理由として清の皇帝一族である愛新覚羅 氏は女真族(満州民族)であるからと言われている。

1907年、東北改制を機に他の省に合わせて東三省総督を設置し、管轄地域の軍政・民政の両方を統括させた。これは袁世凱の影響で、歴代総督は袁世凱派閥であった為、東三省は袁世凱の勢力圏だった。

1912年、清朝滅亡後、東三省は中華民国の統治下に入ったが、袁世凱と孫文の対立で中華民国は分裂し、内戦状態に陥り、満洲では、張作霖が奉天軍閥を形成して満洲を実効支配下に置いた。

1928年6月4日、張作霖爆殺事件が起き、1931年9月18日、柳条湖事件、満洲事変が勃発して関東軍が満洲全土を占領。

その後、関東軍主導の下、辛亥革命にて清国皇帝を退位した、日本人租界で保護していたラストエンペラー愛新覚羅溥儀を元首(後に満州国皇帝)に据え、1932年3月1日、中華民国から独立宣言。建国となる。

満洲国は建国にあたり、自らを満洲民族と漢民族、蒙古民族からなる「満洲人、満人」による、民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、建国理念として日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による五族協和と王道楽土を掲げた。

これまでが満州国建国までの簡単な説明なのだが、ご覧の通り満州という土地は元々は満州族の土地であり、漢民族が起こした辛亥革命で清国皇帝を退いた満州族である愛新覚羅溥儀が満州国元首(後に皇帝になる)として建国されている。民族自決権的に言えば満州国建国は正当である事が分かる。

満州国建国以降

満洲国は日本、特に関東軍と南満州鉄道の強い影響下にあり「大日本帝国と不可分的関係を有する独立国家」と位置付けられていた為、当時の国際連盟加盟国の多くは満洲地域は法的には中華民国の主権下にあるべきと国際的に言われていたが、後にドイツ、イタリア、タイ王国、スペイン、エルサルバドル、ポーランド、コスタリカなどの国が満洲国を承認した。

さらに、ソビエト連邦も領土不可侵を約束して公館を設置したり、イギリスやアメリカ合衆国、フランスなどの国も国営企業や大企業の支店を構えるなどをしていた。当時の映像がこちら。

満州国は国際的に認められていない!と言うのは全くのデタラメである事が分かるだろう。承認しなかった国が国営企業を置くなど暗に認めていたのだ。何故なら当時、世界最強だった大日本帝国陸軍が駐屯しており、民衆が秩序・ルールを守り、治安も良かったからである。

事実、終戦後に日本が統治していた台湾に国民党が進駐して以降、国民党軍による強奪・暴行により、ニ・ニ八事件が勃発、日本人を犬(うるさいが番犬として役に立つという意味)、中国人を豚(ただ貪り食うのみで、役に立たないという意味)と揶揄するほど日本が統治すると治安が良くなり自然と人が集まる。

1908年の時点での満洲地域の人口は約1583万人。満洲国建国された1932年には2928万8千人に増え、1942年には人口は4424万2千人にまでになった。このうち日本人(台湾人・朝鮮人含まず)は約70万から80万人ほどで、多くの民族が集まり暮らしていた多民族国家だった事が分かる。

そして満州民族、漢民族は約3800万人、一方の関東軍は最終的には78万と言われてるが、もし関東軍の防疫部隊が人をさらって人体実験をしていたなんて噂でも立ったらと考えると想像がつくだろう。

関東軍の指揮下にあったとは言え満州民族で構成され大元帥を愛新覚羅溥儀とする満州国軍約8万と満州国内にあった内蒙古政府が持つ、2個歩兵師団、4個騎兵師団、3個中国人独立旅団、1個警備連隊と約3800万人もの民衆が蜂起したら関東軍は消滅しなくとも壊滅的な打撃を受ける。

なお、建国理念で掲げた五族以外にもロシア人が暮らしていたり、満洲国内におけるユダヤ教徒によるユダヤ人自治州を企図するなどをしていた。こんな環境の中、ユダヤ人自治州を企図するなどした関東軍が果たして731部隊に命令して人体実験をするだろうか?

満州国は傀儡国家?

果たして満州国は日本・関東軍の傀儡国家だったのか?

答えは完全傀儡国だっかと言えばNOである。それを説明したい。

満州国建国は満蒙領有論を主張した関東軍の鬼才、石原莞爾の計略によるものが大きいが、多くの満州民族が協力をして実現できた。その後、石原莞爾は領有論から独立論へと変わった。

しかし、満州には満鉄を始め多くの利権があり、石原莞爾の他に満州事変を起こした主犯であった板垣征四郎がこれに目が絡み、石原莞爾が会う度に馬鹿にしていた東條英機が国内で力をつけてたので手を組み、石原莞爾を満州組トップの座から引き下ろし満蒙独立論は頓挫した。

日本が国際連盟から離脱した理由のひとつに満州国を独立国と認めなかった事があるのだが、独立論を主張していた石原莞爾を引きずり下ろし満州国を完全独立国にできなかったのは、満州の利権に目が絡んだ板垣征四郎と犬猿の仲だった東條英機のせいである。

これが完全独立国とは言えない理由であるが、満州国の法律は国民党政府の法律を基にしたものだったり、愛新覚羅溥儀が就任式典で関東軍から勧められた服では無く、満州民族の伝統衣装を着て臨んだり、関東軍将校から閣下と呼ばれ激昂するなど度々、関東軍将校と激突している。(一部の将校から馬鹿にされていた理由としてインポテンツでだったからという説がある)

しかし、日本への公式外交で訪れた際、東京駅のホームで昭和天皇が自ら歩み寄り歓迎するなど厚い待遇がされ、その後、敬意を持って接するようになった。

何故、昭和天皇がこのような対応をされたのか、愛新覚羅溥儀は1908年12月2日から1912年2月12日、1917年7月1日から1917年7月12日の二回、清国皇帝に就任し、満州国皇帝と三回皇帝になった歴史上唯一の人物であるからと私は推察する。

そもそも、満州国は傀儡国だと言っているのは共産主義思想に染まった人達である。

愛新覚羅溥儀はソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して満州国に侵攻して避難する途中にソ連軍に捕まり、中国共産党に引き渡された。当然、傀儡国だ!と言ってる共産主義の人達は愛新覚羅溥儀を手厚い扱いをするかと思いきや、刑務所にぶち込んだ。

満州国は傀儡だ!と言ってる連中が愛新覚羅溥儀を刑務所にぶち込むなんて何の冗談なのか理解不能である。

以上が簡単ではあるが満州国のお話である。ご覧の通り、共産主義思想の人達は他人には歴史修正主義!と言い自分達の都合の良い歴史をねつ造してプロパガンダをするのだ。

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