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宮地神仙道要義(3) -宮地神仙道の沿革及び霊統・中- ●

#00653 2020.5.7

「手箱山へは父の我が魂を神法を以て脱し、使に遣(やり)し事度々にして、遂に大山祇命の御執り持ちによりて少名彦那神に見(まみ)え奉る事を得て、遂に伴ひ給ひけるぞ諸々の幽界に入出する始めにぞありける。(中略)
 さて、父・常磐大人の神明に奉仕せし間の勤めの艱難(かんなん)苦行せられし事は、神官中普(あまね)く無きが如く我ながらも覚ゆるなり。これは我が国人のよく知るところなり。我は父の万分の一もその勤め無くして神明に見えしは、これ全く父の恩頼(みたまのふゆ)によるなり。
 父は画を好みてその稽古もせし故に、神々の御形も多く写し置きけるが、中に大山祇命の眷属を率ゐ給ひて見(あれ)ませる時、御許を受けて写したりとて秘め置ける神像の図は、殊の外に厳重なる御備立にて畏(かしこ)く見奉るなり。
 又、父の開山せし山は、予州・石鉄山と牛角の如く屹立(きつりつ)して最高山なり。石鉄山は海神・三筒男神(みつつおのかみ)の鎮まり給ふ山、手箱山は大山祇命の鎮座にてこの宮は目今(もっこん)郷社となれり。」(『異境備忘録』)

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