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天地組織之原理(146) -大嘗祭の起源-

#00905 2024.6.27

「ここに詔(の)りたまはく、此地(ここ)は韓国(からくに)に向かひ、笠沙(かささ)の御前(みさき)に真来(まき)通りて、朝日の直(ただ)刺す国、夕日の日照る国なり、故(かれ)、此(この)地は甚(いと)吉(よ)き地(ところ)と詔りたまひて、底津石根(そこついわね)に宮柱ふとしり、高天原に氷掾(ひき)たかしりて坐(ま)しましき。」
 
 こゝに挙げたる明文は皇孫降臨後大宮所を定め給ふ伝にして、本居先哲の説にこの所の文は錯簡(さっかん)ありて、必ず「膂宍(そしし)の韓国を真来通りて笠沙の御前にて詔りたまはく」と訓むと『日本書紀』に照らして改められたり。実に然るべきなり。
 「韓国」の字の「韓」は仮字にて則ち『日本書紀』の「空国」の義なり。「笠沙の御前」は『日本書紀』に「吾田(あた)の長屋の笠狭之碕(かささのみさき)」ともあり、「吾田」は薩摩国阿多郡なりとあり。「真来通りて」の「真来」は仮字にて、『日本書紀』に「頓丘(ひたお)から国覓(くにま)ぎ行去(とお)りて」とあるこれなり。「朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、故、此地は甚吉き地」とはよく日影の射すを以てその地を賞して詔り給ふなり。
 
 次に「底津石根に宮柱ふとしり、高天原に氷掾たかしりて坐しましき」とあるは大宮造りのことにて、神代第四期黄泉の段に須佐之男大神より大国主大神に詔り給ひし御神勅にあるも同じことなれば、既にその所に講じ置きたればこゝには解を加へず。合せ見て知るべし。これぞ皇孫降臨後初めて神等の造り給へる大宮にして、高千穂宮と云ふは則ちこの大宮のことなり。 #0868【天地組織之原理(109) -須佐之男大神の御神威-】>>
 この御国覓ぎのことも『古事記』本伝は簡略なる伝にして、『日本書紀』その他の古書に伝はりたる伝もあれば委しく明文に加へて講述も致すべきなれども、略解の例によりて大綱の真理を講ずるに欠くる所無きものは仮令(たとえ)『古事記』に欠くる所あるもその欠漏を明文に加へず。故に以下に聊(いささ)か『日本書紀』その他の古伝を講述中に加へて講究の参考に供し置くべし。
 
 『日本書紀』御天降りの段第六の一書(あるふみ)に「吾田(あた)の笠狭之御碕(かささのみさき)に到りまして遂に長屋の竹嶋に登りましき。乃ちその地を巡り覧たまへばそこに人有りき。名を事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)と曰(のたま)はく。天孫(すめみま)因りて問ひたまはく、此(こ)は誰(た)が国ぞ。対(こた)へ曰(まお)さく、是(こ)は長狭が住める国なり、然れども今乃ち天孫に奏上(たてまつ)らむとまおしき」と云ふ伝へあり。
 又第四の一書にも「その事勝国勝の神はこれ伊弉諾尊の子(みこ)なり。亦の名(みな)は鹽土老翁(しおつちのおぢ)とあり。その外にも『日本書紀』に大同小異の伝あれども事の繁なるを憚りて挙げず。
 
 これ等のことを以て考ふるに、始めに挙げ置きたる「土蜘蛛」と云ひ、こゝに又「神」とあるを思ふに、皇孫降臨の時青人草は多くありし事と知られたり。然れども同じ青人草にても土蜘蛛と云ふ類より事勝国勝神などは地位も自ずから高きことにて、『日本書紀』の一書には「国主、事勝国勝長狭を召す」などの伝ありて、その所を領し居(お)りたる首領と見ゆ。且つこれ等の青人草は数千歳の寿をも経たる神仙にして、後に鹽土老翁が神術を行ひて火々出見命(ほほでみのみこと)に海宮に至り給ふことを教へ奉りしことあり。
 これ等を以ても皇孫降臨後、神武天皇の御代までは吾国は全く神仙界とも云ふべき一種特別の国なりしことを知るべきなり。尚これ等のことは次々の伝を講ずるに至りて講究すべし。こゝには只その一般を示し置くのみなり。 #0531【君子不死之国考(4) -不死之国王-】>> #0532【君子不死之国考(5) -不死之民-】>>
 
 さて皇孫降臨の後、第一の御大礼と云ふべきものは則ち大嘗(おおにえ)聞こしめす伝にして、その事は天児屋命(あめのこやねのみこと)の専ら事執り給ふことなるが故に記紀両伝にはその伝欠けたれども、中臣(なかとみ)家に伝はりたる『天神寿詞(あまつかみのよごと)』は全く大嘗の伝にして、世々中臣家この事に仕へ来りたるものなるが、その『天神寿詞』の伝にはこの時天児屋命、皇孫命に大嘗奉る為に天忍雲根神(あめのおしくもねのかみ)を再び天に昇らしめて天津御祖(みおや)大神等に申し上げ給ひ、皇孫命の御膳水は顕国の水に天津水を加へて奉らんと乞ひ給ひ、天神より玉串を授け給ひて天津八井の水を取ることを教へ給へることあり。
 これは大嘗祭の起源とも云ふべき重き御事なるが故に、こゝに『天神寿詞』をも明文に加へてその御大礼の起源をも講述すべきなれども、この事は両先哲とも委しく論じられたることにて、到底本講の盡すべきことに非ざればこれは別に講究する事と為し、一言こゝに注意を加へて置くまでなり。
 
 さてこの天忍雲根神を再び高天原に昇らしめへるは全く大嘗祭の為に天津水を乞ひに昇らしめ給ふなれども、一つは皇孫命の恙(つつが)無く水穂国に就き給へることをも奏上し給ひしならんと窺ひ奉らるゝなり。これぞ神等の天地御往復の終りにて、これより後は高天原にて生(あ)れ出で給ひし神等も再び御神体の儘高天原に昇り給ふことは無き事となりて、天地御往復の終極と成りたるなり。
 これ則ち余(よ)が一家の研究に於て、造化の気運に五度の大変革ありて今日あるに至りたるものなりと云ふ天地開闢後第四回目の大変遷にて、これより神代第五期の気運に移り、神武天皇までを又一期とすべきなり。

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