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『本朝神仙記伝』の研究(47) -白幽子-

#00429 2016.8.12

 白幽子(はくゆうし)は、姓は源、氏は石川、その通称を知らず、また父母及び産国を詳らかにせず。山城国石川の奥なる巌窟(いわや)に棲むこと数百年、故(もと)の丈山(じょうざん)氏の師範たりし人なりと云ふ。
 文禄年間、この里の老人、屡(しばしば)これを訪ねけるに、その容貌六十余歳程に見えしかど、尋ねし老人の父母祖父母等の歳若かりし時のことをも、目の当たりに見し如くに語れりとなむ。
 食物を与ふれば食へども、魚鳥の類ひは食はず。酒を勧むれば飲みて歌等歌へども、少し飲みたる時も快く酔ひたる様に見え、また多く飲ませても、只何時までも同じ様にてありしとかや。
 その名を問へば「白幽」と答ふ。三年ばかり何処へ行きしか、見えざりしこともありしと云ふ。
 
 その後、凡そ百二十年ばかりを経て東山天皇の御代に至り、白隠(はくいん)禅師、美濃国に在りて修行の時、勇猛の信心を憤発し、不退の道情を激起し、精練刻苦すること両三年、自ら頗(すこぶ)る大悟を得たりと信じ、恰悦踏舞(いえつとうぶ)を忘れ、急に精彩を付け、重ねて一回捨命(しゃみょう)し去らむと、猛(たけ)く工夫を凝らし、寝食を廃するに至りしに、未だ一月をだも経ざる間に、忽(たちま)ち心火逆上し肺金焦枯(しょうこ)して、耳は渓水の間を行くが如くに鳴り、脚は氷雪に浸すが如くに寒く、肝怯(おび)へ胆弱りて、常に恐怖多く、心神困窮して種々の境界を見、両腋常に汗を生じ、両眼常に涙を帯び、恐るべきの重症に陥りしかば、こゝに於て普く名医の治療を受けしと雖(いえど)も更に験(しるし)無く、百術殆ど尽き果てし時に当たりて、初めて白幽子の城州白川の山裡(さんり)に巌居し、霊寿数百歳を保ちて、精(くわ)しく天文に通じ、深く医道に達したる仙人なる由(よし)を聞き、即ち同天皇の宝永七年庚寅の正月、美濃国より発ちて彼処(かしこ)に赴き、人里を離れて山深く入ること二里ばかり、樵夫(きこり)に路を尋ねて雲を分け岩を伝ひ、辛くして白幽が巌窟に至りて見れば、上に一本の松有りて笠をさし掛けたる如く、周りには苔むし、蔦(つた)蔓(かずら)生(お)ひ掛かりて、洞口には蘆簾(ろれん)を掛け、風致清絶幽遂、言語の及ぶ所にあらず。
 
 岩根に寄りて憩ふこと数息、衣を整へ襟を正し、鞠躬(きくきゅう)して簾子(すのこ)の透間(すきま)より窺へば、中には老翁目を閉じて端座し、蒼髪(そうはつ)は垂れて膝を過ぎ、朱顔は麗しうして棗(なつめ)の如く、太布(ふとぬの)の袍(ほう)を掛け、輭草(なんそう)の蓆(むしろ)を敷く。巌窟中、甚(いと)狭くして一つも資生の具を見ず、机上に只『中庸』と『老子』と『金剛般若経』を置けるのみなりしとぞ。
 禅師、礼を尽くして懇(ねんご)ろに病因を告げ、且つ救ひを請ひしに、暫くありて白幽、眼を開きて熟々(つらつら)見て告げて云ひけらく、「我はこれ山中半死の珍人、木の実を拾ひて食ひ、鹿猿に伴ひて眠る。この外(ほか)更に何をか知らむ。自ら遠く来望を労することを」と。禅師、即ち再び乞ひて休まず。
 
 時に白幽、恬如(てんじょ)として禅師の手を取り、精(くわ)しく五内を窺ひ、九侯を察し、惨乎(さんこ)として額を攅(あつ)めて曰く、「やんぬる哉(かな)、観理度に過ぎ、進修節を失して、遂にこの重症を発す。実に医治し難きものは、禅師の難病なり。針、灸、薬の三物を以て救はむとせば、扁倉華陀(へんそうかだ)力を尽くし、額を攅(あつ)むるとも、奇功を見ること能(あた)はじ。禅師、今観理の為に破らる、勤めて内観の功を積まざれば、終に起(た)つこと能(あた)はじ。これ地に倒れたる者は地によりて起つの謂(いわ)れなり」と。
 禅師の曰く、「願はくば内観の要秘を聞かむ、学びがてらにこれを修せむ」と。白幽、粛々と容(かたち)を改め、従容(しょうよう)として告げて曰く、「嗚呼、禅師の如きは問ふことを好むの人なり。我昔聞ける所を以て少しく禅師に告げむか、これ養生の秘訣にして人の知ること稀なる所なり。怠らずんば必ず奇功を見む。久視(きゅうし)もまた期しつべし」と。
 
 医書を引き道経を挙げ、示すこと丁寧反復す。その要に曰く、「凡そ生を養ふの道、上部は常に清涼ならむことを要し、下部は常に温暖ならむことを要せよ。それ経脈の十二は干支の十二に配し、月の十二に応じ、時の十二に合す。六爻(こう)変化再周して、一歳を全ふするが如し。五陰上に居し、一陽下を占む。これを地雷復(ちらいふく)と云ふ。冬至の候なり。真人(しんじん)の息は、これを息するに踵(きびす)を以てするの謂(いわ)れか、三陽下に位し、三陰上に居す。これを地天泰(ちてんたい)と云ふ。孟正(もうしょう)の侯なり。万物発生の気を含みて、百卉(き)春花の澤(たく)を受く。至人元気をして下に満たしむるの象(かたち)、人これを得る時は営衛充実し、気力勇壮なり。五陰下に居し、一陽上に止まる。これを山地剥(さんちはく)と云ふ。九月の侯なり。天これを得る時は林苑(りんえん)色を失し、百卉(き)荒落(こうらく)す。これ衆人の息は息するに喉を以てするの象、人これを得る時は形容枯稿し、歯牙搖落(ようらく)す。故に曰く、『六陽共に尽く、即ちこれ全陰の人にして死に易し』と。須(すべか)らく知るべし。元気をして常に下に満たしむ。これ生を養ふの枢要なることをと。また曰く、『それ大道の外に真丹無く、真丹の外に大道無し』。蓋(けだ)し五無漏(ごむろ)の法あり。汝の六欲を去り、五官各々その職を忘るゝ時は、混然たる本源の真気、彷彿として目前に満つ。これかの大白道人の所謂(いわゆる)『我が天を以て仕ふる所の天に合す者』なり。孟子の所謂『浩然(こうぜん)の気』、これを引きて臍輪(せいりん)、気海(きかい)、丹田の間に納めて歳月を重ね、これを守りて守一(しゅいつ)にし去り、これを養ひて無適にし去りて、一朝忽ち丹竃(たんそう)を掀飜(きんはん)する時は、内外中間八紘四維(はっこうしい)、総てこれ一枚の大還丹なり。この時に当たりて、初めて自己即ちこれ天地に先立ちて生ぜず、虚空に後れて死せざる底(てい)の、真箇長生九視の大神仙なることを悟り得ること有らむ。これを真正丹竃功成る底の時節とす。豈(あに)風に御し霞に跨(またが)り、地を縮め水を踏む等の瑣末(さまつ)なる幻事を以て、懐(かい)とするものならむや。大洋を攬(かい)で酥酪(そらく)とし、厚土(こうど)を変じて黄金とす。前賢曰く、『丹は丹田なり、液は肺液なり、肺液を以て丹田に還す。この故に金液還丹と云ふ』と。また曰く、『酥(そ)を用ゆるの法あり、心の労疲を救ふこと尤(もっと)も妙なり』。行者、定中(じょうちゅう)大調和せず、心身共に労疲を感ずること有らず、心を起こして応(まさ)にこの想ひを為すべし。譬へば色香清浄の輭蘇(なんそ)、鴨卵(おうらん)の大きさの如くなる物、頂上(いただき)に頓在(とんざい)せむに、その気味、微妙にして普く頭顱(ずろ)の間を潤し、浸々(しんしん)として潤下し来りて、両肩及び双肘両乳胸隔の間、肺肝胃腸脊梁臀骨次第に沾注(せんちゅう)し、將(も)ち去る。この時に当たりて、胸中の五積六集(ごしゃくりくしゅう)疝癖塊痛(せんぺきかいつう)、心に随ひて降下すること、水の下につくが如く、歴々として声あり。遍身を周流し、双脚を温潤し、足心(そくしん)に至りて即ち止む。行者、再び応(まさ)にこの観を為すべし。かれ浸々として潤下する所の余流、積り湛(たた)へて暖め浸すこと、恰(あたか)も世の良医の種々妙香の薬物を集め、これを煎湯して浴盤の中に盛り湛(たた)へて、我が臍輪以下を漬け浸すが如し。この観を為す時、唯心所現(ゆいしんしょげん)の故に、鼻根忽ち稀有の香気を聞き、身根俄(にわ)かに妙好の輭觸(なんしょく)を受く。心身調適なること、二、三十歳の時より遥かに勝るを覚ゆ。この時に当たりて積集(しゃくしゅう)を消融し、胃腸を調和し、覚えず肌膚(きふ)光沢を生ず。もしそれ怠らずむば、何れの病か治せざらむ、何れの徳か積みざらむ、何れの仙か成就せざる、何れの道か成就せざる。その効験の遅速は、行ふ人の進修の精粗に因るのみ。白幽、始め多病にして、禅師の患ひに十倍せり。衆医総てに顧みざるに至る。百法を極むると雖も救ふべきの道無し。こゝに於て上下の神祇に祈り、天仙の冥助を希(こいねが)ふ。何の幸ひぞや、図らずもこの輭蘇の妙術を伝授することを得たるは、実に歓喜の至りに堪へず、綿々として精修せり。未だ期月ならざるに、衆病大半消除す。爾来(じらい)、心身軽安なることを覚ゆるのみ。月の大小を記せず、年の潤余を知らず、世念次第に微にして、人欲の旧習も何時しか忘れたる如くになり、白幽が歳、今何十なることもまた知らず。中頃由(よし)有りて、若丹(じゃくたん)の山中に潜遁(せんとん)せしこと凡そ三十年ばかりなりしも、世人総て知ること無し。その中間を顧みるに、恰も黄梁半熟(こうりょうはんじゅく)の一夢の如し。今この山中、無人の所に向てこの枯稿(ここう)の一具骨を放ちて、太布(ふとぬの)の単衣(ひとえ)僅かに二、三片を掛け、厳冬の寒威、綿を砕くの夜と雖も、枯腸(こちょう)を凍損するには至らず。山粒(さんりゅう)既に絶へて穀気を受けざること、動(やや)もすれば数月に及ぶと雖も、遂に飢凍(きとう)の覚えも無きことは、皆この観の力ならずや。我今既に禅師に告ぐるに、一生用ひ尽くさゞる底の秘訣を以てせり。この外(ほか)更に何をか云はんや」と云ひて、目を収めて黙座す。禅師もまた涙を含みて礼辞し、徐々として洞口を降りしは、残陽僅かに梢に掛かれる頃なりしとぞ。
 
 時に激声の丁々(ちょうちょう)として山谷(さんこく)に答ふるあり。驚き且つ怪しみて、おずおず返り見れば、遥かに白幽が巌窟を離れて、自ら送り来るを見る。即ち曰く、「人跡至らざるの山路、東西分かち難し。恐らくは帰客を悩まさむ。老父暫く帰程を導かむ」と云ひて、大駒下駄(おおこまげた)をつけ、痩鳩(そうそう)の杖をひき、峻巌を踏み険阻(けんそ)を登ること、飄々(ひょうひょう)として坦途を行くが如く、談笑して先駆す。
 山路遥かに下りて、かの渓水の所に至りて即ち曰く、「この流水に随ひ下らば、必ず白川の邑(むら)に至らむ」と云ひて、惨然(さんぜん)として別る。暫く立ちて白幽が回歩を見送るに、その老歩の勇壮なること、飄然(ひょうぜん)として世を遁れ羽化して登仙する人の如し。羨み且つ敬し、「世を終るまでこれ等の人に随逐(ずいちく)すること能(あた)はざるを、自ら恨みとしたり」と云へり。
 
 かくて白隠禅師は徐々として帰り来り、かの内観の法を濽修(さんしゅう)するに、従前の諸病悉く消除したるのみならず、大いに禅法を益し、大悟(たいご)十八度、小悟数を知らず。怡悦踏舞(いえつとうぶ)を忘るゝに至りしとて、老後白幽が伝へし所を記して一書を著し、これを『夜船閑話(やせんかんわ)』と題し、普く世に伝はる。かくて白幽のこと、その後聞こゆる所無し。終に登仙したるなるべし。
 
 厳夫云、本伝は『落栗(おちくり)物語』、『譚海(たんかい)』、『夜船閑話』、『近世奇人伝』、『続奇人伝』、『遠羅天賀摩(おらてがま)』等の諸書を参集してこゝに載せたり。(中略)
 然るに本伝中、白幽子が白隠禅師に示したる語に、「凡そ生を養ふの道、上部は常に清涼ならむことを要し、下部は常に温暖ならむことを要せよ」とて、易の地雷復、地天泰及び山地剥の三卦を引きて、冬至、孟正、九月の侯のことを説き、これを人身の上に例へて説明せることは、実に養生の秘訣なれば、人たるもの暫くも忘るまじきことなり。
 
 次に「大道の外に真丹無く、真丹の外に大道無し。蓋し五無漏の法あり」と云ひたる五無漏のことは、宋の張白端の著せる『金丹四百字』の序に、精、神(しん)、魂(こん)、魄(はく)、意の五つを肝、肺、心、腎、脾の五臓に鎮めて、眼、耳、鼻、舌、四肢等より漏るゝこと無からしむるの法あることを説けり。即ちこれを云ひしものなり。
 所謂(いわゆる)その法とは、人もし眼視ざる時には魂、肝臓にあり、耳聞かざる時は精、腎臓にあり、鼻嗅がざる時は魄、肺臓にあり、舌声せざる時は神、心臓にあり、四肢動かざる時は意、脾臓にあり、これを五気朝元(ちょうげん)と云ふ。
 この五気朝元を保ちて、常に魂をして肝に在らしむれば眼より漏るゝこと無く、魄をして肺に在らしむれば鼻より漏るゝこと無く、精をして腎に在らしむれば耳より漏るゝこと無く、神をして心に在らしむれば舌より漏るゝこと無く、意をして脾に在らしむれば四肢より漏るゝこと無し。これを五無漏とは云ふなり。
 
 故に白幽子はその語を次ぎて、「汝の六欲を去り、五官各々その職を忘るゝ時は、混然たる本源の真気、彷彿として目前に満つ。これかの大白道人の所謂、我が天を以て仕ふる所の天に合す者なり」と云ひたるが、この六欲とは色、声、香、味、触、法の六にて、眼の色を欲し、耳の声を欲し、鼻の香を欲し、舌の味を欲し、身の触を欲し、意の法を欲するを云ひ、また五官とは眼の視、耳の聴く、鼻の嗅ぎ、舌の味はひ、身の触るゝの五つを云ふことなるが、その六欲を去りて、五官たる眼、耳、鼻、舌、身の五つが、視、聴く、嗅ぎ、味はひ、触るゝの五職を忘れて為さゞるに至らば、混然たる本源の真気を云ひて、我が生命の本源たる霊物を、恍惚の中に認むることを得るものなり。これを「彷彿として目前に満つ」とは云ひたり。この霊物と指すもの即ち我が身の神魂(たましい)なり。
 
 而(しか)してその霊物即ち神魂を引きて、これを我が臍下二寸四分の内なる下丹田、即ち白幽子が「臍輪、気海、丹田」と云ひたる所に鎮めて、これを保ちこれを養ひて止まざる時は、遂に凝結して霊胎となり、これを玄胎とも聖胎とも云ふなり。 #0064【臍の霊的存在意義】>> #0065【玄気があれば何でもできる】>> #0066【気力を充実させる法】>> #0067【福寿を無量に得る呼吸法】>> #0230【尸解の玄理(9) -求道の真義-】>>
 
 人もし修練功積りて、この田地に至ることを得れば、これまた白幽子の云へる如く、内外中間八紘四維、総てこれ一枚の大還丹となりて、自己実に天地に先立ちて生ぜず、虚空に後れて死せざる、大神仙たることを悟り得るに至るべし。
 これを白幽子は大白道人の語を引きて、「我が天を以て仕ふる所の天に合す者なり」とは云ひたり。語を換へてこれを云へば、我が精神を以て宇宙の大精神と感合せしむるものなりと云ふに外ならず。 #0210【神道宇宙観略説(1) -宇宙の大精神-】>>
 
 次にまた「前賢曰く、丹は丹田なり、液は肺液なり、肺液を以て丹田に還す。この故に金液還丹と云ふ」と云へるは、『伝道集』、『霊宝畢法(ひっぽう)』及び『悟真篇』、『青華秘文』等に因るに、五臓の内、肝を東方に配し、肺を西方に配す。また五行にては木を東方に配し、金を西方に配す。然れば、肺は西方金気に配する臓なるを以て、肺液を金液とは云ふなり。また還丹とは丹田に還すと云ふの意にして、法を以てその肺液を昇らせて口中に集め、これを飲み下して臍下丹田の気海中に納む。これ即ち還丹なり。
 
 さてその肺液を口中に集める法は、舌を上に反(かえ)して上顎を舐(ねぶ)る。これを久しくする時は、自然に肺液昇り来りて舌の先に触るゝ。清冷の水にして甘美の味あり、口中の液と混和して嗽錬(そうれん)し、飲み下して丹田に納む。
 この金液還丹の法を常に修めて怠らざる時は、前に云へる我が生命の本体たる霊物即ち神魂と共に感合し、凝結してかの玄胎とも聖胎とも称するものを得るに至る。故に反復丁寧にこれを云ひしものと知るべし。
 
 本伝また酥を用ふるの法を説けり。これは観想の一法にして、病を治むること最も妙なり。白幽子が特に季(つぶ)さにこの酥を用ふるの法を説けるは、元々白隠禅師が自己の病を告げてその救ひを請へるに因るなり。この法に就きても云はまほしきこと少なからねど、余りに冗長に亘るの嫌ひあるが為に、省きてこれを述べず。
 且つ本伝に上をよく玩味(がんみ)すれば、解し難きにあらざるを以て、誰にても行ひ得らるべければ、もし諸病を患ふる人は、自ら試みてその効験の著しきを知るべし。これを白幽子が白隠禅師に伝へたる道要の大略とす。(後略)
 
(清風道人云、宮地水位先生も調気丹田法等を修さられていましたが、それ等の法は川丹先生、或いは青真小童君及び杉山清定君より直々に授けられた神仙界系統の道術です。 #0343【『異境備忘録』の研究(28) -神仙界の養生法-】>> )

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