天地組織之原理(149) -三種の神宝- ●
#00908 2024.7.15
これより皇孫降臨後の伝を講述するに就ては、前に一言約し置きたる三種神宝考を加へ参考に供すべし。吾皇国の臣民にして神器の御徳を知らざるは本邦人たる資格に欠くものなれば謹みて講究あらんことを。
謹みて三種神宝(みくさのかむたから)の御伝へを考ふるに、この大御宝はしも皇孫命(すめみまのみこと)御天降りの時、天照大御神の大御手づから天津日嗣(あまつひつぎ)の御璽(みしるし)として皇孫命に賜はりし勾玉、鏡及び草薙剣(天叢雲剣なり)の三種にて綾(あや)に畏き大御宝なるが、中にも御鏡は天照大御神の大御口づから「この鏡は専(もは)ら我が御魂として吾が前(みまえ)を拝(いつ)くが如(ごと)く斎(いつ)き奉れ」と宣へる大詔の神典に明らかなれば、これは天照大御神の御魂代(みたましろ)なるは論(あげつら)ひ無きを、天石屋戸の段(くだり)を始めとしてこの大御神の御魂代なる御鏡よりも勾玉の方を上(かみ)つ枝に掛け給へる伝なるは如何なる由(よし)ならんと考ふるに、まず本居先哲の『古事記伝』によれば、この三種を連れ挙げたる次第は鏡・剣・玉とか鏡・玉・剣とかあるべき理(ことわり)なるに記紀共に玉を先にし、『日本書紀』には殊に「玉及(また)鏡」と鏡の上に「及」の字をさへ置かれたるは如何にと云ふに、崇神天皇の御代に至りてこの御鏡・御剣をば他所に斎き祭り給ひてより天皇の御許に坐しますは神代の物には坐しまさず、唯玉のみぞ大御神の授け給へる物にて坐します故に、彼(か)の御代よりしては三種の中に玉を第一とぞ為られけん。
然ればその御代より後は常に玉を先に申すならひたるその次第の儘に記紀共に記せるものにして、神代よりは然るには非ずなんと云はれたるを平田先哲の『古史伝』にも採られたり。
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