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『異境備忘録』の研究(56) -正伝と偽伝-

#00371 2015.8.26

「神仙界にて詩歌等を作り詠ずる事あり。歌はその調(しらべ)高く紙に書するに仮名遣ひも宜しく音に明らかなり。然(しか)るを天狗界にては、歌その余の物に至るまでも書するには篆字(てんじ)、草字、真仮名、平仮名、幽界文字をも交へて書する事あり。又、草字と平仮名とにて、今の世に人間の書くが如く書するも多くあれど、大に仮名遣ひの違ひたるが多し。
 又、咒言の歌等には、その調の音便に違ひ仮名遣ひも違ひて、歌とも詞とも分き難き文盲者の仕業の如く見ゆれども、その仮名を正し、歌の格に入れて直す時は、その咒言の禁厭(まじない)却って霊験なし。故に強(あなが)ちに直す事なかれ。」(『異境備忘録』) #0241【『幽界物語』の研究(11) -詩歌について-】>> #0242【『幽界物語』の研究(12) -幽界文字の存在-】>>
 
 水位先生は諸々の幽界の実相記録を遺されただけでなく、種々の真形図や霊符類、神法道術等も伝承され、その中には数多の咒言(秘詞)も存していますが、火を「ヒ」と読む以外に「ホ」と発音する場合があり、また「気」は「キ」以外に「ケ」、「息」も「イキ」以外に「オキ」と誦読する場合があり、それぞれその霊験が異なることからも、神仙界伝来の言霊には人智を超えた深秘が存することが分かります。
 
「総て禁厭の詞(ことば)には所によりてその音便の自然に備はりたる故に、猥(みだ)りに直し曲ぐる事なかれ。余(よ)の幼年の頃、父主に腹痛を止める禁厭法を受けゝるに、その詞は、天(あめ)ノホノケ国ノホノケ云々とあるを、天ノホノケ地(つち)ノホノケと直したり。天と云へば必ず地と云ふべき理ありとて改めたる由は、日置流蟇目式に、天(あめ)ノ息(おき)地(つち)ノ息と唱へて燈火を覆ふ辞(ことば)あるによりてなり。かくの如く改めてよりは自らも改めし通りに唱へ、又人にもかくの如く伝へしも、近頃思へば大なる誤りなる事を考へ得しなり。
 それは、天地とは対語にして天国とは天津国にまがふ故に云はぬ格なり。天国と云ふは古格にはあるまじき事なるを、中に語を挟む時に禁厭には天ノ何、国ノ何と云へる事多く、また神名等の対名には天ノ何ノ命、国ノ何ノ命と云ひて、地ノ何ノ命と云へる事なし。それは、天之常立神は国之常立神に対し、また天津神国津神と云ひて地を天に対へて云はぬ例あり。天地と云ふは多くは開闢につきて和漢共に唱へ来れり。
 又、物により所によりては天地も物の中に隔てゝ書けるもありて、山上憶良の歌に、天ならば汝のまにまに、土ならば大君ゐます云々等あれど、皆その云ふべき格の所にこそ云へれ、杜撰には云はぬ格なり。総て禁厭には皆各々にその格ある故に猥りに改むる事なかれ。皆その所による物と知るべし」
 
 神仙界より伝えられた秘詞はあれこれと人間的な思考によって改作する筋合いのものではなく、また当初は意味不明であっても、修養が進んで霊格向上するに伴い、雲霧が晴れるようにその霊的意義が判然として来ることが往々にしてありますが、これらは神法道術一般にいえることです。
 それにしても、本文にある通り水位先生は語法の古格に照らして僅か一字を改められただけですが、それが改悪であったことに気付かれて、直ちにその非を改められたあたりに清浄なる仙風が感じられ、それが真仙たる所以でしょう。
 ちなみに、上記の「天ノ火ノ気、国ノ火ノ気云々」という秘詞は単なる腹痛を止める禁厭法ではなく、天地真元の二気を摂取して生命力の旺盛なる運転をもたらす祝辞(いわいごと)の第一章であることに後年になってから水位先生も気付かれたのですが、この時は先生が極めて幼少の頃であったため、父大人もその詳細を説かれることなくこの深秘なる咒言を授けられ、愛児の道力長養を期されたものと思われます。

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