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怪異実話(24) -亡き妻と暮らした男のこと-

#00308 2014.8.10

 享保年中、大阪谷町あたりに成田治左衛門という浪人が住んでいました。元来は西国の方の侍でしたが訳有って国を立ち退き、大阪へ来て新蔭流の武術を指南して生計を立て、後妻を迎えました。
 夫婦の仲はとても睦まじく、実(まこと)に「琴瑟(きんしつ)相和す」というべき様子でしたが、その妻が思いもよらず病の床に伏し、遂には医者にも見放されることとなりました。
 
 治左衛門は大いに嘆いて日夜枕を離れず看病しましたが、命は旦夕(たんせき)に迫り、妻が治左衛門を呼んで手を取り、顔を見つめて「貴男と百年添い参ろうと互いに契りましたが、私は不幸にして中途で別れることとなり、その悲しみは言葉にすることもできません。もし貴男が私を捨てないのなら、例え形骸は無くなっても魂魄(たましい)はここに留まり、貴男と偕老(かいろう)の契りを致したいのです」と涙ながらにいったところ、夫も共に嘆いて「お前より、生き残る私の悲しみは断腸の思いである。しかしながら、有為転変(ういてんぺん)の世の習いは嘆いても仕方がない。もしお前のその言葉通りなら、死んでも生きているのと同じだ」といいました。
 それを聞いた妻は嬉しそうに笑いながら、「貴男が私を捨てないことに感謝申し上げます。しかしながら、このことは他の人には漏らさないで下さい」といって息を引き取り、治左衛門は大いに嘆き悲しみながら妻の遺体を寺に送り、葬埋の礼を行ったのでした。
 
 そうしたところ、妻は葬埋の夜より早速現れ、生きていた時と少しも変わることなく治左衛門と枕を共にするようになりました。治左衛門は始めの頃は愛着に溺れて何とも思いませんでしたが、日数が重なるに従って良くないことのように思い、知己や門弟へは播州巡りとして播州の知人の許に行って逃げたところ、その夜に妻が現れ、「貴男は私と深く契ったのに、心変わりするとは恨めしいことです。貴男がどこへ行こうとも、日本はおろか唐土(もろこし)・天竺までも従い参ります。貴男が私を捨てても、私は決して貴男を捨てません」といって、その来往は止みませんでした。
 
 治左衛門は仕方なく大阪に帰ったのですが、それを避ける術(すべ)はなく、また他人に漏らさないことを約束したため口外するのも恐ろしくて、ただ独り悶え苦しみ、次第に元気も衰えて人にも会わず、引き篭もって打ち伏せていました。
 その様子を聞いた朋友が治左衛門を訪れて来て、下男が「主人は誰にも会いたくないそうです」と告げたのですが、皆武術をする猛者ですので、「病んだ女子供のように人に会わないのはなぜか。我らならば大丈夫だ」と、治左衛門の病床に押し掛けたところ、治左衛門は驚いて涙を流し、「我は計らずも病を受けて既に(死が)迫っている。貴方方に対面するのもこれが最後だ」といいました。
 
 皆が見たその姿形は、顔の肉が落ちて気息も短く、人相も奇怪で鬼魅に禍せられたようであったため、「何か怪しい訳があるだろう」と親身にいったところ、治左衛門はことの顛末を語ろうと思いましたが、妻との約束を思い出して躊躇していました。
 しかし、皆に再び声を揃えて問い掛けられ、仕方なく妻と契った始末を語ったところ、皆驚いて「これは貴殿の愛着が深いため狐狸が禍をなしているのだろう。死んだ人が再び来たという話はない。我らが葬って除こう」と、その夜、光燭を焚いて白昼のようにし、皆治左衛門の側に連座して待っていたところ、夜半の頃、治左衛門が苦しみ悶えたため、皆「今や妖怪が来た」と、刀を抜いて空中を払いましたが当たる物はなく、怪しい物も見えませんでしたが、治左衛門は終に息絶えました。
 皆は驚いて助け、薬などを与えたところ、やっとのことで息を吹き返しましたが、治左衛門は涙を流して、「我が君たちに契りのことを漏らしたため、女は大いに怒り、我の命を断つといって帰った。君たちは長寿を保って下され」といって、翌日死んだのでした。
 
(清風道人云、人にはそれぞれ定寿があり、現界における死別は致し方のないものですが、決してそれで終わりではなく、「琴瑟相和す」ほどの夫婦ならば、幽顕隔てた後もその縁は存続するという理を知らなかったことによる悲劇といえるでしょう。 #0262【『幽界物語』の研究(32) -夫婦の縁-】>> #0263【『幽界物語』の研究(33) -寿命について-】>>
 また、永遠の愛を誓い合って心中を遂げたとしても、幽界に入れば男女同居することは叶わず、忽(たちま)ち離別して苦境に至ることも『幽界物語』に記されています。 #0275【『幽界物語』の研究(45) -人霊の行方-】>> )

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