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『本朝神仙記伝』の研究(63) -山中山三郎- ●

#00445 2016.11.16

 山中山三郎は字(あざな)を丑之助、土佐国土佐郡高知城下の東北に住まひせし人なりと云ふ。寛文、延宝の頃のことゝか、山三郎、常に静閑を好みて紛擾(ふんじょう)を喜ばず、暇ある時は昼夜の分かち無く一室の内に閉じ籠りて、ある時は静座を為し、ある時は安臥(あんが)を為し、何か修行を怠らざる者の如くなれども、敢てその由(よし)を語らざれば、その所為の何たるを知る者、更に無かりしとぞ。
 かくて数十年を経しかば、家族親戚は云ふを待たず、その他の人と雖(いえど)も、これはある種の人なりとして、奇(あや)しむ者無きに至りしかば、後には山三郎も心安くや思ひけむ、聊(いささ)か憚(はばか)る所無く、家事は多く妻子に任せて、己は専ら閑散の身となり、かの一室の内に静居するを事とせり。

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