![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/129871396/rectangle_large_type_2_e00d4bf8865e19b9b09fadc3f704c57e.jpeg?width=800)
『本朝神仙記伝』の研究(63) -山中山三郎- ●
#00445 2016.11.16
山中山三郎は字(あざな)を丑之助、土佐国土佐郡高知城下の東北に住まひせし人なりと云ふ。寛文、延宝の頃のことゝか、山三郎、常に静閑を好みて紛擾(ふんじょう)を喜ばず、暇ある時は昼夜の分かち無く一室の内に閉じ籠りて、ある時は静座を為し、ある時は安臥(あんが)を為し、何か修行を怠らざる者の如くなれども、敢てその由(よし)を語らざれば、その所為の何たるを知る者、更に無かりしとぞ。
かくて数十年を経しかば、家族親戚は云ふを待たず、その他の人と雖(いえど)も、これはある種の人なりとして、奇(あや)しむ者無きに至りしかば、後には山三郎も心安くや思ひけむ、聊(いささ)か憚(はばか)る所無く、家事は多く妻子に任せて、己は専ら閑散の身となり、かの一室の内に静居するを事とせり。
ここから先は
5,239字
この記事のみ
¥
300
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?