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怪異実話(9) -殺生を止めて寿命が延びた人のこと-

#00293 2014.5.14

 昔、津国郡山の村岩の庄という所に富裕な人が住んでいましたが、十二歳の息子を京都に連れ行き、その頃京都で人相見の達人であった郭塞翁という人に見せたところ、翁はその子の相を見て、「この子の齢(よわい)は十九歳限りである」と云いました。
 それを聞いた父は大いに嘆いて、「何とか若死から逃れる方法は無いのか」といったところ、翁が「強(し)いて行えば無い訳ではないが、無理であろう」と答えたため、また父が「例え家が傾くほどの財を使っても厭(いと)わないから、この子の齢を延ばす方法を教えてくれ」と頼みました。しかしながら、翁は「私のことを金銭を貪る者だと思うのか。そのような心では例え教えても効験はないだろう」と答えて、その後は二度と物をいいませんでした。
 
 父は仕方なく旅宿へ帰りましたが、どうしても息子のことが憂えて、再び翁の許へ行って先の過ちを詫び、さらに教えを乞うたところ、翁は「ならば教えよう。他でもない、聞くところによると、貴方は村里において富人であるため他に何も好み楽しむことがなく、暇に任せて狩猟を遊事とし、数多(あまた)の活物を殺しているようだが、これが若死の基である。もし今後固く殺生を慎むなら寿の限りは延びるが、この他に術(すべ)は無い」といいました。
 その人はそれより殺生を全く止めましたが、息子が十七歳の時に自身が身罷(みまか)ることとなり、最期の時に父が息子にいったのは「私は汝に先立って身罷ることになったが、お前の死を見ることがなかったことは嬉しいことだ」とのことでした。
 
 さて、その子が十九歳になった年のある夜、頭が割れるように痛み出し、その苦しさは言葉にできないほどでした。この時、例の郭塞翁のことを思い出し、今夜死ぬのだろうと思い定めましたが、夜が明け行くに連れて頭の痛みは軽くなり、朝になると痛みは全く止まりました。
 寝屋を出ると家内の人々がその人の顔を見てしきりに笑うため、驚いて鏡を見たところ、顔面が左の方に曲がって見たこともない形相となっていましたが、これは死の代わりであると思い悟って治療を行わず、その姿で過ごしていました。
 
 やがてその人が五十三歳の年になり、ある人に顔面が曲がった訳を尋ねられて、一連のことについて詳しく語ったところ、尋ねた人は「それでは今も固く殺生を慎んでおられるのでしょう」といいました。
 その人は答えて「そのことですが、他に何も楽しむことがないため、心が緩んでこの頃はまた折々狩猟を行っております」といったため、「それは悪いことだ。父も固く戒め、また現にそのように験(しるし)も見えているではないか」と諌(いさ)めて、その人は帰りました。
 奇怪なことに、その夜、例の顔面の曲がった人は頓死したのですが、これは殺生を戒められたにも関わらず、罪と分かっていながらまた破ったことに対する天刑を示し給われたのでありましょう。殺生は短命の基となり、ものの命を助けることは陰徳であり、寿命を延ばす種であります。
 
(清風道人云、『幽界物語』で清浄利仙君の御神示に「神仙たちが漁猟を始め給えることは殺害を教え給うのではない。後代に人の食物が少ない所で餓死する者があるのを救うため、且つ人間の精力を助けるために、このような術を起こして生類を招き見せて教えたのだが、後に人間の卑しい心により、味を貪り非義にも殺して食うこととなったのである」とあり、暇に任せた遊事のための殺生によって神罰を被るのは当然のことでしょう。 #0270【『幽界物語』の研究(40) -現界の罪-】>>
 また、父親の罪によって息子の寿命が短縮されるということについては、現界生活で作った悪因縁が自らの帰幽後の幽真生活や来世に影響を及ぼすだけでなく、子孫にも悪影響を及ぼすことが分かります。 #0264【『幽界物語』の研究(34) -前世の因縁-】>>
 人の寿命については、島田幸安によれば「寿数は定めがありますが、それを不養生や横難によって縮める者が多い」とのことで、『神仙感応経(太上感応篇)』にも「善悪の報いは影の形に従うが如し。ここを以て天地に司過の神あり。人の犯すところの軽重によりて、以て人の算を奪う。算減ずれば即ち貧耗にして多く憂患に逢い、(中略)算尽くれば即ち死す」とあります。 #0263【『幽界物語』の研究(33) -寿命について-】>> )

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