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天地組織之原理(141) -孝道の本源-

#00900 2024.5.28

『日本書紀』曰く、「復(また)天児屋命(あめのこやねのみこと)太玉命(ふとたまのきこと)に勅(の)りたまはく、爾(いまし)二神も亦(また)同(とも)に殿(おほと)の内に侍らひて善く防護(つかえまつり)為せ。」
 
 この伝も『日本書紀』の伝文にして、天照大御神より天児屋命と太玉命に詔り給ふなり。この二柱神は申すまでも無くこの度御天降りの御供の神等の内にて重要なる神に坐すが故に、特にこの二柱神に詔り給ふにて、この詔は自ずから他の御供の神等にもかゝる御神勅なり。
 如何となれば、防護のことは二柱のみに止まることに非ず、他の神も共に守護し給ふべきことなれども、まずこの二柱神を防護の長として皇孫命(すめみまのみこと)と同じ殿内に侍らしめ給ひ、他の神等の長として共に防護のことを量り給はしめんが為なりと知られたり。
 
 この防護のことは只に外冦(がいこう)を防御する備へのみのことに非ず、自ずから祭政の御保護をも含みて詔り給ふにて、「防護」とあるは全く二義を含蓄したるものなることは、皇孫降臨後この二柱神の執り行ひ給ふ所の御実蹟は専ら祭政のことに関はり給ふにて明らかなり。特に天児屋命は高天原にての大臣位と坐す神議の長たる八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)の御子にして国の大臣位なれば、必ず祭政のことに関はり給ふべき神なり。
 試みに云はゞ、天児屋命は文臣の方にして、太玉命は武臣の方に当り給ふが如し。然れば文武の二道ともこの二神に限るに非ず、その他の御供神にも二つながら詔り給ふ理(ことわり)にて、この二柱を召して詔り給ふはその長たるが為なるべし。尚よく考ふべきなり。
 
「こゝに天児屋命、布刀玉命、天宇受売命(あめのうずめのみこと)、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、玉祖命(たまのおやのみこと)、併(あわ)せて五伴(いつとも)の緒を支(く)まり加へて天降りまさしめたまひき。」
 
 さてこゝに挙げたる『古事記』の明文は猿田毘古神の参向ひ給ふ次に伝へられたる文なれども、これは必ず錯簡(さっかん)なること明らかなれば、その順序を正してこゝに加へたるなり。
 明文の意は聞こえたる通り皇孫命の天降り給ふ事と定まりたるによりて、この五柱神を御供の神の長として付き添へ給ひて天降し給ふなり。神名の解は前に天照大御神の天石屋戸隠れの所に講じ置きたればこゝには云はず。
 
 「伴の緒」と云ふは一部相伴ふを云ふことにて、トモカラと云ふも又この意にて交り親しむ人を友と云ふも同意なり。「緒」は長の本語にて、そのオサと云ふは長兄の意なり。然れば「伴の緒」と云ふはその部属の長を云ふ称にて、その部属を統(す)べ治むるを云ふ。「支まり加へて」は『日本書紀』には「配り侍りて」と書かれたり。この字意と同じと本居先哲の説あるが如し。
 この時皇孫命を降し給ふには必ず御供の神等多く坐すべき理なれば、かく五柱神等をその御供の神等の一部一部の長として降し給ふなり。
 
「こゝにその遠岐斯(おきし)八尺勾璁(やさかのまがたま)、鏡、及び草那藝剣(くさなぎのつるぎ)、亦常世(とこよ)の思金神(おもいかねのかみ)、登由宇気神(とようけのかみ)、手力男神(たぢからおのかみ)に詔(の)りたまはく、この鏡は専(もは)ら我(あ)が御魂(みたま)として吾(あ)が前(みまえ)を拝(いつ)くが如くいつき奉(まつ)れ。次に思金神は前の事を取り持ちて政(まつりごと)為さしめたまへとのりたまひき。」
 
 この明文は前段五伴緒神(いつともおのかみ)の次の伝にして、明文の表はよく聞こえたる通り三種の神器と神と君との中取り持たしめ給はんが為に思金神の御魂をも添へ給ひ、豊宇気神、手力男神の御魂をも添へ給ふとの伝にて、この神等は始めの五伴緒神等の顕身(うつしみ)ながら御供に加はり給ふとは違ひ、皆天照大御神の御魂代(みたましろ)と坐す御鏡も同じくその御魂をのみ斎(いつ)き鎮めて添へ給ふなり。故に始めの神等とは別に伝へられたるなり。本居先哲もかく云はれたり。
 平田先哲は『日本書紀』その他の古伝書を照らし合せて自ら一家の意見を以て、この所の伝は明文を甚だしく改められたれども、余(よ)はこの所は『古事記』の伝に随ふものなり。
 
 尤もこの伝の中に手力男神、天石門別神(あめのいわとわけのかみ)と御同神の別名を二つ挙げ、二柱の如く聞こゆるは全く伝写の誤りか、又は『古事記』撰集以前の阿礼が読み習ひたる古書より以前に早く誤りたるものか、これは次の明文と合せて見ればその誤りなることは誰にても知らるゝことにて、天石門別神とあるは全く「登由宇気神」とあるべき所なり。
 然らざれば次の「登由宇気神、この神は云々」とある明文はその文語の起こる所無きことのみならず、この時登由宇気神の御魂を添へ給ふは然あるべきことにて疑ひ無き事と聞こゆれば、文語の道理上より明文の誤りを正したるなり。既に本居先哲もかく論じ置かれたり。
 
 就てはこの次の明文に挙げたる「次に天石門別神、亦の名は」より「御門神なり」と云ふまでの二十八字は全くこの所には不用の文にて、この神は手力男神のことなれば、始めに「天石門別神」とありしよりその照応の為に後に加へられたる文と見ゆ。
 故に余が一家の講究にては始めに豊受神を加へて手力男神の又の御名・天石門別神を除きたるが故に、その受けとる文も共に除くは素よりのことなり。且つこの二十八字は古伝には非ず、只天石門別神は御門の神なりと云ふことを知らせたるまでにて、これを除けば前後の文よく聞こゆる事となる。次の伝と参考あるべし。
 
 平田先哲もこの所は錯簡ありとして諸書に照らし、天石門別神は手力男神のことなれば全く除きて、更に布刀玉神と萬幡豊秋津比売神(よろずはたとよあきつひめのかみ)の二柱を加へられたり。同先哲は思金神と天児屋命を御同神として論じられたるが故に、この所の説も天児屋命は現身(うつしみ)と魂と二方に天降り給ふことの如く論じられたるにより、余も始めは御同神として論じたることもあれども、よく考ふれば思金神は天児屋命の御父なるによりこの所は天石門別神を除き、登由宇気神を加ふる方よく聞こゆるが故に平田先哲の説とは異なれども、『古事記』の明文と本居先哲の説に随ひ道理上より余が一家の意見をも加へて聊かこれを改めたるなり。
 
 さて前に挙げたる明文の意を一通り講ずべきことなりとして、この伝には明文の錯簡の所あるが故にまずその事より先に論じ置かざれば聞こえ難きが故に、これを弁ずるが為に明文の意を解するを後れたれどもこゝに聊かこれを講述すべし。
 「こゝにその遠岐斯八尺勾璁、鏡、及び草那藝剣」とある「遠岐斯」は『日本書紀』に「招祷(おき)奉る」とあり、又海神宮の段に「風招(かざおき)」と云へることあり、風を招き発す法なり。これは天石屋戸に隠れ坐せる天照大御神を招き出し奉りし時の玉なるが故に云ふなりと先哲も論じ置かれたり。
 
 八尺勾璁及び鏡のことは天石屋戸の段の講述に既に云ひ置きたり。草那藝剣のことは第三期の末八俣遠呂智の所に云ひ置きたる通りこの御剣は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のことにて、天叢雲剣と云ふは日本武尊御東征の時より名付け給へるなれば、この時は天叢雲剣とある方然ることなれども何れにしても同じ物なり。 #0389【『本朝神仙記伝』の研究(7) -日本武尊-】>>
 次に「亦常世の思金神、登由宇気神、手力男神に詔りたまはく」は、前に論じ置きたる通り道理上より明文の欠漏を補ひ重複を除きたる所なるが、この神等は何れも現身にて降し給ふに非ず、皆皇孫命の為にその神等の御魂を天照大御神の御魂代なる御鏡及び玉、剣と共に添へ給ふなり。「常世」は「常夜」にして、大御神の天石屋戸隠れの時議り給ふよりかく名付くるなりと先哲の説あり。
 
 三種の神器はこの時皇孫命を天津高御座(たかみくら)に就け給ひて御国依さしの御祝の為に授け給へる御物なれども、何れも皆御祖(みおや)の神等の御魂代なることは、鏡は申すまでも無く「この鏡は専ら我が御魂として吾が前を拝くが如くいつき奉(まつ)れ」と詔り給ふ御神勅にて明らかなるが、外の二種も皆御魂代なる理(ことわり)あれども一言の盡すべき限りに非ざれば、皇孫降臨の段を一通り講じ終りたる後更に委しくこれを講述すべし。
 
 次に「思金神は前の事を取り持ちて政為さしめたまへとのりたまひき」とあるは、その御魂は神と君との御中取り持ちて御祭為さしめ給へとのことにて祭政一致、祭事は則ち政事なる所以の因りて起こる所なり。『日本書紀』の一書(あるふみ)の伝にはこの時宝鏡を授け給ふことを天忍穂耳命とも伝へられたれども、これは御父子の間の伝への混じたるものにて全く邇々芸命に坐すなり。参考の為その伝をこゝに挙ぐ。
 「天照大御神、宝鏡(みかがみ)を手(みて)に持ちたまひて天忍穂耳命に授けて祝(ほ)ぎて曰(のたま)はく、吾(あ)が児(みこ)この宝鏡を視(み)まさむこと、当に吾を視るがごとくしたまへ、与(とも)に床を同じくし殿(おおとの)を共にして斎鏡(いわいかがみ)としたまへ」と伝へられたり。
 
 さて天照大御神のこの時かく御教へ詔り坐すは、始め伊邪那岐大神より賜りし御頸珠(みくびたま)を大御神自ら御倉棚神(みくらたなのかみ)として大御神の高御座に斎き祭り給へる御大孝の道を示し給ふ大教にして、吾国上古よりその祖を祭りて孝を万世に伝ふるを以て道とするはこゝに起因するものにて、天照大御神より皇孫命に伝へ給ひ、後の世々に御実行遊ばさるゝ正道なれば、臣民又謹みて祖先に対する敬礼報本反始の祭を怠ること無かるべし。 #0526【扶桑皇典(56) -先祖祭-】>>
 
 斯道(しどう)の要旨は前に挙げたる『日本書紀』の伝の如く主権の犯すべからざるを明らかにし、大義を踏みて動かざると孝道を以て遠く祖先に及ぼすの二つを以て道の本体とし、至誠を以てこれを行ふにあり。これ則ち道の本源造化自然の神則に出でゝ、天照大御神の神勅に定まりて万世変ふべからざるものなり。
 本居先哲も「高みくら天津日つきと日の御子の受けつたへます道はこのみち」、又「国々の君はかはれど高光る吾日の御子の御代はかはらじ」と詠み置かれたり。

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