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『本朝神仙記伝』の研究(74) -河野至道寿人- ●
#00456 2017.1.21
河野至道(しどう)寿人(じゅじん)は、名は久、通称は虎五郎、後に俊八と改む。豊後国杵築(きつき)の旧藩士なり。天保七年三月を以て同国国東(くにさき)郡安岐浦(あきうら)の豪家・永松四郎左衛門の三男に生まれ、十四歳にして河野氏に養はる。同家は大阪中之島越中橋蔵屋敷の定詰(じょうづめ)にして、中小姓勘定役(ちゅうこしょうかんじょうやく)を勤む。明治維新の後、藩の史生となり、廃藩置県の時これを辞む。同六年四月、大阪府の官属となり、江戸堀に住す。
これより前(さき)安政四年、大阪府士族・木村知義の妹・菅子を娶(めと)りて一女を挙ぐ。名を米(よね)と呼べり。
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