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戸籍時報連載『旧市区町村を訪ねて』10「初めての島々に出会う」長崎県松浦市〜鷹島町・福島町〜(文・写真:仁科勝介)

こんにちは。コンテンツビジネス推進部のMです。弊社刊行「戸籍時報」との好評連動企画、「旧市区町村を訪ねて」。
いつもたくさんの「スキ」をありがとうございます💛
今回は、令和6年2月号掲載の第10回、長崎県が有する数々の離島のうち、佐賀県から橋で渡ることができる島(鷹島・福島)から、素敵な景色と記事を届けてくださいました。
いつものとおり、仁科さんの素敵なお写真をここではカラーでご紹介しています。
今後の連載も、ぜひお楽しみに!

~~本連載の著者は、写真家の仁科勝介さん。2018年3月から2020年1月にかけて、全国1741の市区町村を巡った彼が、2023年4月から再び、愛車のスーパーカブで日本中を旅しています。
 今回の旅のテーマは、1999年に始まった平成の大合併前の旧市区町村を巡ること。いま一つのまちになっているところに、もともとは別の文化や暮らしがあった。いまも残る旧市区町村のよさや面影を探します。
 仁科さんの写真と言葉から、今そこにある暮らしに少し触れてもらえたら嬉しいなと思います。~~

『初めての島々に出会う』

旧市町村一周の旅をするなかで,国内すべての有人島に行くことは難しい。素通りしてしまっている島も多いだろう。だからこそ,ふと初めての離島に出会うと,とても新鮮に感じられる。

佐賀県で次の旅のルートを計画していたとき,唐津(からつ)市や伊万里(いまり)市の西側の長崎県松浦市に位置する鷹島(たかしま),福島という島を知った。その二つの島は,平成の大合併で2006年に松浦市と合併するまで,鷹島町,福島町の名で存在していたのだった。さらに,鷹島と福島には九州本土との橋が架けられていて,それも「松浦市」ではなく,地理的に近い「佐賀県」と結ばれているという事実を知った。

ぼくの気持ちが渦巻いた。「佐賀県と橋でつながっている長崎県の離島」があるとは。長崎県の離島といえば,五島列島や壱岐,対馬などを知っていれば,少しは精通しているといえるだろう,と思っていた自分が恥ずかしくなった。

しかし同時に,新たに島を知ったことが嬉しくもあった。まだまだ無知ではあるけれど,自分の心に描く地図にふわりと新しく島が浮かび上がったようで。その島を訪れる日が楽しみになった。

唐津市から鷹島肥前大橋を渡って,鷹島へ向かう。佐賀県から長崎県へ移動したわけだが,車のナンバープレートが佐賀ナンバーから佐世保ナンバーに変わった。橋を渡っただけでも,ここは長崎県なのだと実感が湧く。

そして,鷹島神崎遺跡という海底遺跡があることを知った。1281年の蒙古襲来(元寇)の際の元の軍船が,今も鷹島の東岸沖に沈んでいるのだそうだ。展望台に登ったものの,海底遺跡なので遺跡はもちろん見えない。しかし,目の前の海に中世の軍船が今も沈んでいるのだと想像したとき,元寇という史実に対する実感が,一気に身近なものとして感じられたのだった。

▲ 松浦市立埋蔵文化財センター近くの展望台から,鷹島神崎遺跡の海を眺めた。

次に伊万里市から福島大橋を抜けて,福島へ渡った。土谷棚田へ行くと,小高い丘から海まで高低差のある棚田が広がっていた。平地の少ない地形でも稲作ができるようにと,人々の手によって長く守られてきた棚田だ。とても美しかった。大山展望台に登ると,青々とした海に大小の島々が浮かんでいた。そして,市街地に戻ると小学生たちが楽しそうに下校していた。ここには暮らしがある。あたりまえのことながら,そうした一つひとつの景色が新鮮だった。

きっと,日本には自分の知らない離島が,まだ数えきれないほどあるのだろう。

今は知らぬどこかの場所で,誰かの日常が流れている。その想像力だけはいつも忘れずにいようと,鷹島と福島へ訪れて思ったのだった。

(かつお╱Katsusuke Nishina)


仁科勝介(にしなかつすけ)
写真家。1996年岡山県生まれ、広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年春より旧市町村を周る旅に出る。
HP https://katsusukenishina.com/
X(旧Twitter)/Instagram @katsuo247



本内容は、月刊『戸籍時報』令和6年2月号 vol.849に掲載されたものです。


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