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戸籍時報連載『旧市区町村を訪ねて』16「宮本常一のふるさとへ」山口県大島郡〜周防大島町〜(文・写真:仁科勝介)

こんにちは。コンテンツビジネス推進部のMです。弊社刊行「戸籍時報」との好評連動企画、「旧市区町村を訪ねて」。
いつもたくさんの「スキ」をありがとうございます💛
今回、令和6年8月号掲載の第16回は、山口県大島郡から。屋代島を訪れ、この地が輩出した民俗学者の軌跡やフィールドワークへの想いに触れた記事となっています。
いつものとおり、仁科さんの素敵なお写真をここではカラーでご紹介しています。
今後の連載も、ぜひお楽しみに!

~~本連載の著者は、写真家の仁科勝介さん。2018年3月から2020年1月にかけて、全国1741の市区町村を巡った彼が、2023年4月から再び、愛車のスーパーカブで日本中を旅しています。
 今回の旅のテーマは、1999年に始まった平成の大合併前の旧市区町村を巡ること。いま一つのまちになっているところに、もともとは別の文化や暮らしがあった。いまも残る旧市区町村のよさや面影を探します。
 仁科さんの写真と言葉から、今そこにある暮らしに少し触れてもらえたら嬉しいなと思います。~~

『宮本常一のふるさとへ』

山口県東部の柳井市から大島大橋を渡り,周防大島町(すおうおおしまちょう)に入った。周防大島町は複数の有人島と無人島で構成されており,最も大きな島の名は屋代島(やしろじま)。2004年までは大島(おおしま),久賀(くか), 橘(たちばな),東和(とうわ)と4町が存在していた。
 屋代島の東に位置する旧東和町で生まれ育った人物に,宮本常一がいる。言わずと知れた民俗学者である,ということを初めて知ったのは,学生時代に日本の市町村を巡り終えた後,知人から言われたひとことからだった。「君のやっていることは,宮本常一みたいだね」。
 それから彼の著書を読み,伝記に触れ,民俗学者でありながら,日本各地を自分の足で歩き続けた凄まじいフィールドワーカーであることを知った。高度経済成長とともに失われていく日本の農漁村をすみずみまで訪れ,生活を記録し続け,民衆の生活を良くするには何が良いかを考え実践し,新しい国づくりに民衆との未来を描いた人物であると。
 今,日本中を旅していて宮本常一の名に触れることも少なくない。佐渡島の名産品おけさ柿は,宮本常一が指導した農作物である。すっかり島の名産品だ。佐渡島へ訪れると,宮本常一の句碑が残されていた。また,初めて出会った人と宮本常一の話題で打ち解けたこともある。彼は仏を彫る仏師だったが,宮本常一の思想は大切にされなければならないと説いてくれた。

そして今回,旧東和町にある宮本常一記念館に初めて訪れた。記念館は町の市街地に位置し,島の中でも空が広く,そこから北を眺めれば大小さまざまな島が浮かんでいた。彼の生まれ故郷の土地であり,少し緊張する。館内に入り,じっくりと展示を見た。

▲ 宮本常一記念館へ。建物の奥には瀬戸内海が広がっていた。

民俗学は調査の学問であること。彼自身,土地の歴史や文化が消えてしまう前に,できるだけ記録を残しておきたかったということ。子どもが3人いながら,旅のために一家団欒の時間は少なく,寂しさもあったということ。しかしそこには民衆のために,という強い使命感があったこと。彼の想いに改めて感じ入った。

宮本常一が亡くなって40年以上経つが,彼が向き合い続けた地方の多くは今,地域格差の問題にさらされている。大きな場所からの声は社会に届きやすいが,小さな土地の声はますます聞こえづらくなった。しかし,社会の中心地から日本を見るだけでは見えないことがたくさんある。それを地方で生きる人々は知っているだろうとも思う。旧市町村を巡っていると,日本のさまざまな土地で暮らす方たちこそが,日本を大きく支えているのだと感じられる。

宮本常一の意志を,自分なりに大切にして旅を続けたい。

(かつお╱Katsusuke Nishina)



仁科勝介(にしなかつすけ)
写真家。1996年岡山県生まれ、広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年春より旧市町村を周る旅に出る。
HP https://katsusukenishina.com/
X(旧Twitter)/Instagram @katsuo247



本内容は、月刊『戸籍時報』令和6年8月号 vol.856に掲載されたものです。

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