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安売りの「冥福を祈る」が好きじゃない話

さっきTVでシンガポール航空の不運(Unglueck)というヘッドラインニュースを見たので、事故(Unfall)じゃなくて不運??と、インターネットでニュースを探した。
予測できない乱気流に巻き込まれて、3分間で1800メートル降下したという、まさに気象上の不運というものだったので、それはドイツ語正しいね、と思った。
その結果、イギリスの73才の男性が心臓発作で亡くなった他、70名近くが重軽傷とのことだった。

ニュースに対してのコメント欄に「亡くなった方のご冥福をお祈りします」というのがあったけど、最近日本でこれ、流行ってるよね。
大きな地震と災害では、いちいちサイトに書いてあったり、メーリングリストに入ってたりして、正直もううんざり。

企業さんとか、本当にそう思うなら、そう書く合間にお金出すとか、自社の製品をすぐに現地に送るとか、そういう具体的な支援をしろ!
一言、「ご冥福を」って書いたら、コーポレートイメージ上がるとか、誤解だから。

そもそも冥福は読んで字のごとく、「冥土」での「幸福」なわけだ。
死後の世界でもハッピーでいてね♪と理解してるんだと思うけど、冥土はめちゃめちゃ仏教用語なわけ。
だから、日本で言ったら神道の人とか、まあ無宗教の人とか、多分キリスト教のイギリスのおじいさん(インド系とかかもしれないけどね。)とかには使えません!

キリスト教は天に召されることは、地上の苦しみから解放されるということでいいことなので、お悔やみ自体言わないのだそうだ。
神道にも冥土の概念がない。

仏教ならオールマイティかと思いきや、浄土真宗は「臨終即往生」という教えで、これは死んだらすぐ仏になるということだそうなので、「冥福を祈る」とは「死後の世界である冥界に迷い込め!」という意味になる、と。
怖いねえ。
ちなみに日本の浄土真宗の割合は48パーセントだそうな。

神道、キリスト教、無宗教、浄土真宗を除いた人って3分の1くらいしかいないんじゃないの、日本に。

個人の人も安易に書いてるけど、知り合いでもないのに、本当にそう思ってるの???と思う。
普段遣いしない言葉だから、歯が浮くような感じがしてしまう。
痛ましい事件/出来事だ、とか残念だとか、さぞ無念だろうとか、もっと自分の気持ちを表す言葉はあると思うんだけど。

私個人としては「お悔やみ申し上げます」も、自分の実感を込めていえない。
「悔み」って普段使いませんもの。
(今気づいたけど、「お悔やみ」は「や」が送り仮名に入るけど、「悔み」は入らない! 
確かに「悔む」「悔しい」だもんね。)

気持ちを乗せられない言葉は言いたくないので、
親しい人への声掛けであっても、
「残念だったね」とか「つらいね」などと言います。
「この間一時帰国したときに、ゆっくり過ごせてよかったね」とか。

近しくない人でも、「お心残りのことでしょう」とか。
「お力落としのないように」も、「大変だとは思うけど、ご自分の体も労ってくださいね」というように言い換えます。

まあ、別に他の人がどういうつもりで使うかはどうでもいいんだけど、あまりにも安易に「ご冥福をお祈り」というフレーズが用いられている最近の風潮が好きじゃないという話でした。

ちなみにドイツ語では、Herzliche Beileidといいます。
Herzは英語のハートと同じで、「心から」。
歓迎の挨拶でも、Herzliche Willkommenと言えます。

Leidは「苦しみ」で、leiderといえば、「残念ながら」。
ごめんなさい Im sorryに相当するのが、Es tut mir leid.
「それは私に痛みをもたらす」のが直訳です。
そこに、bei/そばにがつくので、共に苦しむって感じでしょうか。
あなたの苦しみに寄り添います、と。

すごくいい言い方だと思うんだけど、義母が亡くなったとき、初めてこの表現を知って、覚えようとしたんだけど、どうしてもBeileid(バイライト)をBeilage(バイラーゲ)って言っちゃう。
Lageは場所とかポジションのことで、Beilageと言ったら、付け合わせ、サイドディッシュのことなんです。
「シュニッツェルのBeilageはフライドポテトかポテトサラダから選べます」みたいな。

超~~深刻な場面なのに、どうしても、「心から付け合わせ!」って。
練習してちゃんと言えるようになったけど、言えるんだけど、どうしてもそのことを思い出しちゃって、笑っちゃう。
ということで、ドイツ語でもきっと私はこの定型句は言わないで、「残念だったね」ということになりそうです。

ちなみに、アイキャッチの画像を選ぶとき、普通に百合を探してしまった。
私は、死のイメージがキリスト教化しているのかも。
死んだ日を入れるのに、十字使ったりするし・・・
百合はキリスト教のシンボルなので、私の母校のマークも百合モチーフでした。

友人のドイツ人夫が、日本で友人に花をプレゼントするのに、菊を送ったってのもあったな。
キリスト教の彼には菊は仏花のイメージないしね。

近い将来多民族化、多文化社会になる日本の、あれやこれやの言い回しも今後変わっていくことでしょう。

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