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“不”安定でいこう

大人、とは。大人という存在とは。  

いま、イタリア語の教室に通っているのだが、先日、そこの同じクラスの方たちと一人の方のお家にお邪魔してみんなで集まってお酒やお菓子を横にのんびりたくさん話した。

くだらないことや社会のことや将来のこと、いろんなことをのんびり自由に話した。家にいるときのようにまったり、のんびり。本当に楽しい時間だった。この教室に入って良かったし、このクラスにめぐまれた私は本当にラッキーだったなぁ、そう心から思えた。

帰り道、ひとり電車に揺られながら、この日の余韻に包まれて胸が一杯になった。涙が少しこぼれたくらい。

わたしはまだ二十歳。他のクラスメイトの方々、三人は皆、わたしより十年以上生きている人たちだ。そんな大人の方たちのなかにいることはとても刺激的だ。大人のなかにいるから刺激的、という軽い意味合いではなく、その方々の生き方とか、考え方とかを尊敬しているから刺激的と思えている。

毎週のこのクラスの時間は、とっても楽しい。イタリア語の勉強のモチベーションをお互いに高め合える関係でもある。が、それだけではない。

何よりも、私も早く大人になりたい!!!!!と思わせてくれる人たちなのだ。  

今までいろんなところ、この年齢だと学校という枠組みが一番色んな大人に接する機会であったが、そのなかで、ざっくりになるけれど、例えば、大人になるって楽しいことなんだよ、と思わせてくれるような大人は少なかった。

もちろん、尊敬する大人にも沢山出会ってきたが、教師という枠組みで考えると尊敬できる大人にはほとんど出会えなかった。特に高校では。

高校生のときは、あんまりそういった大人(先生)に出会えなかったどころか、大人に対して悪いイメージ、マイナスなイメージを持った。
組織にただ属して、その枠組みに狭苦しそうに在籍する大人。何か言いたそうなのに、空気を読んで言わない大人たち。
そんな大人と関わっていたわけだから、私もなんだか高校生のときは思考がかたかったというか、全然のびのびできてなかったんだなぁ。
その時は気づかなかったけど、今となってはそう思う。洗脳されていた、という言葉がぴったりか。? 
それに私自身も、ワタシ、これから何したいとかないし将来も何になりたいっていうのもないし、どうしよう、的な状況。とにかく不安。
だから、大人になるのって面倒だなぁ、ばっかり考えてた。

けれど、このお三方に出会ってからは、早く大人になりたいなぁ、大人になるって楽しいんだなぁ、これから人生どうなるんだろう!ワクワク!!!たのしみ!何が起こるんだろう!!といつしか思えるようになった。
大人への憧れ、私も追いつきたい、そんなふうに思わせてくれる大人に出会ったのが初めて。(初めてではないが30代くらいの、わたしより歳が離れすぎてなくて、まさにこの社会でリアルタイムで実際に働いている人たちでそのように思わせてくれる人に出会ったのは初めてかもしれない。)

大人ってなんだろ。。大人って、本来ならば子供に、若者に、大人になることはとても楽しいことなんだ、というようなことを教えるべき、感じさせるべき存在なのではないのか。