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5年経って見つけた答え

高校に通っていた時に疑問を抱いていた授業の内容の答えが先日、偶然繋がった。

いつも観ている、BSで放送されている、キャッチ世界のトップニュース。海外のニュースを観る機会がなかなかない日本で、海外のテレビによる報道の仕方に触れられる良い機会を与えてくれる番組だ。
その中の、マカディアさんというアメリカ人が受け持つ"@nyc"のコーナーがある。何かを生み出したい人が沢山集まる街とよく言われるニューヨークで、新しくプロジェクトやお店や企画やらを行っている人を毎回取り上げて特集するコーナーだ。
そのコーナーで先日取り上げられていた場所が、子どものための作文教室。子どもが食いつくようなコスチュームやら本を置いたお店の奥に、扉が隠されていて、その奥に教室があるという工夫された場所になっている。
ここでは大人がまず物語の冒頭だけを与えて、子どもが自由にその物語の続きを考えたり、決まりからは離れた書きたい文章を書きたいだけ書けるような場所だそう。
マカディアさんによれば、アメリカの学校の作文の授業では、順序立てて書くことに趣が置かれるため、自由に自分の好きなことを書く場は学校には無いと言う。

そうか!!これだ!!と私は思った。高校の時に抱いていた疑問が一気に解けた。

私は高校の時、英語に特化した学科にいた。英語の授業が一日もない日はなく、多い曜日は七時間授業のうち、四時間が英語の授業だったことも。そのうちの一つの授業として、Academic Writihgという、英語でエッセイを書く授業があった。そこでは、作文を順序よく書くことが一番とされていて、
例えば、Beginning(Interesting Beginning Sentence→Topic Sentence)
→Middle(supporting Sentences)
→Ending(Conclusing Sentence→Ending Sentence)
のように…
私は書きたいことを好きなように書きたかったのに、teacherのもとに持っていくと、beginningはどれ?Topic sentenceがないよ。ばかり言われる。テストでも、この決まりに沿って書かなければ点はもらえなかった。
当時の私はこれにどこか心の片隅で疑問を抱いていた。なんで好きなように書いちゃいけないんだろう、決まりに沿って書いたからなんなの?と…

だって、わたしは何より、”アメリカは自由”。
この印象を持っていたのに、それが本当だとすれば、なんでこのアメリカの教科書を使ったアメリカ人による授業はこんなに窮屈なのか、自由ではないのかと。。

先日のテレビの話と繋がった。アメリカは自由、は単なる妄想で、アメリカの授業がそのまま私たちの授業になっていただけだったのか、と。
アメリカの真似ばかりの日本の光景は、授業までも侵食していたのかと。

そして、作文は、書きたいことや、書きたいことに対して追求することが何より先だと言うのに、それを吹っ飛ばして、順序と英語で書けることばかりを大切にされていた当時の教育はなんだったのかと。。日本語で考えがないものを無理やり書いて何が生まれるのかと。

今もそんな授業が母校で、母校以外でもされているとしたらそう言いたい。