大祓詞の考察(1)神話の背景と儀式と言霊の意訳
大祓詞 神話背景による意訳
南九州を拠点に日本列島の太平洋側を活動範囲とした海人の天津神である皇親神たちは、神様を集めて会議を開きました。(ここでは神様に敬意と神威を表現するため「集えに集え給ひ」のように重ねて表現します。) 皇孫の邇邇芸命は日本海側の山陰(出雲)を中心とする国々を、天津神のもと争いのない平和な国として治めるようにとお言葉をお伝えあそばされた。 この伝えを聞いた国内の荒ぶる神たちを、説得し、また払いやって、 伝聞し、磐座や神籬や榊をもって祭祀とする神主、巫女なども斎戒して、 天より磐座が(伊豆諸島・出雲・和泉・泉・出水の)厚い雲を割るような勢いで降りてきて、天孫が降臨あそばされた。 降臨あそばされた四方(高千穂の四方・出水)の国中と大和地方出雲の国を争いのない平和な国として治めることをお決めになり、 磐座を土台として宮柱を敷たてて(祭祀を譲り受け)、 高天原に坐す高木神、天照大御神の御威光を知らしめ、 霧島神宮に天孫邇邇芸命と三種の神器を祀りあそばされて、 邇邇芸命が天照大御神のもと幽世に身罷られたのちに、台頭してきた武人たちが過ち犯す様々な罪事は、農耕を荒らす罪、宮内で暴れる罪、家畜を無為に殺傷する罪、生産を呪う罪を天津罪、残虐な殺生の罪、疫病の災禍、近親相姦、獣姦、蝗害、蟲毒を国津罪、さらに様々な災禍が出てきた。 そのように罪事がでてきたならば、天津磐境の祭祀をもって、神宝の霊力にて荒ぶりをお鎮めになり、祓浄めの祝詞儀式を宣言せよ。 このように「太祝詞」神事を行うことを宣言したならば、天津神は高天原の岩戸を押し開いて、(伊豆諸島・出雲・和泉・泉・出水の)厚い雲の中央に大きな穴が開くように、天空より勢いよく雲を突き抜けてお力を発揮され、お聞きにあそばされます。 国津神は高山の頂(常世)、低山の頂(幽世)まで出向き、高山や低山の心の晴れないこと。気のふさがるような濛々と立ちこめる霧やもやをかき分けて、航行の障害になるような海中の岩ををかき分け、野原の茂った草木をかき分けて、お聞きにあそばされます。 このようにお聞きにあそばされますと、罪事という罪事はあるまいと、 (日本書紀の朝霧を吹き払う神の「級長戸辺命・しなとべのみこと」により)咎や過ちを防ぐ戸(または信濃の入り口)を風が打ち付けるような嵐雲を、吹き放つがごとく、 朝や夕にたちこめる濛々とした霧を朝風、夕風を吹き払うがごとく、 海辺(港)に留まる大舟を舳艫(じくろ)を結ぶ綱を解き放って、大海原に押し放つがごとく、 あなたが見渡したところに草木が繁った根本を、研いで焼いて鍛えた鎌で打ち払うがごとく残る罪もあるまいと、祓い浄めることを、 高山の頂(常世)、低山の頂(幽世)より「佐久那の太理・さくなのふとことわり」によって落ち幾重にも分かれた、急流の瀬に坐す瀬織津姫という神様が、罪事を大海原に持って出られます。 このように持って出られたなら、人の往来のない潮流(水路)の多くの潮流が合流して渦巻くあたりに坐す「速開都姫」という神様が、これをがぶがぶと飲み込んでしまうであろう。 このようにがぶがぶと飲み込んでしまったならば、氣吹戸(伊吹山、伊吹島、指宿※未確認)に坐す「氣吹戸主」という神様が根の國(常世)、底の國(幽世)に、これを吹き飛ばしてしまうであろう。 このように吹き飛ばしてしまったならば、根の國(常世)、底の國(幽世)に坐す、「速佐須良姫」という神様が、これを持ち誘って失ってしまうであろう。 このように誘って失ってしまったならば、罪という罪は無くなり、祓い浄めることを 天津神、国津神、八百万の神達ともにお聞きにあそばされますよう、奏上いたします。
中臣祓の天津神・国津神・八百万神たち
中臣祓といわれる大祓詞ですが、「天空・宇宙」より天津神が祓い浄め、「地・海」より国津神が祓い浄められます。八百万の神は相談を受け会議に参加し祓い浄めの手伝いをします。なので「天津神、国津神、八百万の神達ともに聞し食せとまをす」なのです。協力なしでは「残る罪は在らじ」とはなりません。 天津神、国津神、八百万の神達は「協力して」豊葦原を祓い浄めていること、忘れてはなりません。 大祓詞の主な文脈と内容で、神様たちが私たちの奏上を聞きあそばして祓い浄めをされているのに、それを感謝することをしないのは悲しいことです。 それは神様の存在を蔑ろすることにほかなりません。中身のない祝詞にならないよう中臣祓を推奨したいと思います。
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