見出し画像

真夜中の台所


椅子を一脚買おうか悩んでいる。

台所に置くのだ。

料理はあまり好きでない。

でも、漬け込んだり煮込んだりの合間に台所で本を読むのが好きで、すると不思議に料理の時間も悪くないと思える。

その時に腰掛けるための椅子だ。


昔、国語の教科書に谷川俊太郎氏の「黄金の魚」という詩が載っていた。

パウル・クレーの同名の絵画をもとに書かれた詩で、ご存知の方も多いと思う。

クレーの描く魚の絵が好きなので、その詩は私の中でことさら印象深く残った。

その時の紹介文に、著書として挙げられていた「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」もまた何とも興味を誘うタイトルに感じ、いつか読んでみようと覚えていた。


大人になってようやく、その本を読んで自分の思い違いに気付いた。

私の中で長らく、台所の「きみ」とは魚だったのだ。

暗い海の底で夢のように光る孤独な魚の絵が、暗い夜中の台所と勝手に結びついていたらしい。

いま思うと笑ってしまうが、夜中に冷蔵庫の魚に対話を求める、幻想的なイメージを抱いていたのだ。

実は詩を学んだのと同じ時期、夜に自宅の冷蔵庫を開けると一匹の鯖が入っていたことがあった。

いつも見る切り開かれた姿ではなく、一尾まるごと、本来の姿だ。

目が大きくて、可愛くて、青くて銀色で、美しいと思った。

そして冷蔵庫に生き物がいる、と。


真夜中の静まり返った暗い台所。

冷えたフローリングを歩いて、そっと冷蔵庫を開く。

ぼんやり光るオレンジの庫内灯に、死んだ魚が照らされる。

それは食べ物と生き物のはざまに見える。

明日食べてしまう君に、何か話しかけたい。


なんてことはない。

幻想的なのは10代の自分の頭のほうだった。

けれど、今でも真夜中の暗い台所は充分、幻想的に見える。