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本を愛するひと

食費を削ってまで本を買うような人間は結局、記事を書くような時間があるならば、本を読んでしまう。
という次第で、うっかりしていたら、なんと二年以上の空白。
社会の荒波を本の小舟で乗り切ってきた日々に、ぼんやり考えたことなど、つらつらと。

私は本棚を持っていない。
本を愛する者として、本に立派な家を与えるのは当然…という意見を目にするたび、いやはや、ごもっとも、なんてもごもご言いつつ、土下座の姿勢のまま後ずさりするよりない体たらくだ。
最初こそカラーボックスやらラックの空きスペースに仮収納していたが、初めから全然、足りていなかった。
大掃除をしながら毎年のように、本棚を買おうと思う。されど毎年、部屋が狭いくせに欲しい本棚のサイズは大きくなっていく。
本を増やしても、減らす発想がないからだ。

読み終わった本たちは現在、
①使わないテーブルの上下に並べるか、
②100均の収納ケースに自分なりの分類を施して収めるか、
③布と厚紙でできた収納ボックスに収めるか、
④いっそダイレクトに壁際に並べるか
(③と④は図鑑や絵本などサイズの揃わないもの)
という形に落ち着いている。
そんなぐだぐだ収納が部屋の四か所にある。無論、本の塔も建っているが。

世の読書家たちの悲鳴が聞こえそうな写真

私はヘッドボードのないベッドで寝ていて、特に好きな本はすぐ手に取れるよう、枕元のテーブルに集合している。(冒頭の写真は枕側からの眺め)

もし火事になったら、我ながらよく燃えそうだ。
本の収納の仕方でその人の性格がわかるというが、誰がどう見てもぐうたら日本代表だろう。
釣った魚に餌をやらないタイプだ。

と思ったら小川洋子さんも川上弘美さんもエッセイにて、ご本人曰く、本棚は乱雑でとても人にお見せできるものではないとのこと。
仲間だ、と思ったが、きちんと本棚がある時点で全然仲間じゃない。

会話の流れで、読書が好きだと答える。
すると相手に本を読む習慣がない場合、こんなことを言われる。
「一か月に何冊くらい読むの?」
「本、何冊くらい持ってるの?」
「漫画とか読まないの?」
これらの質問は結構、困る。
読書が好きな諸氏ならお分かりいただけると思う。
ディオ様のお言葉を借りて答えるなら、「お前は今まで食ったパンの枚数を覚えているのか?」なのである。
相手だって「一か月にネット記事を何ページくらい閲覧しますか?」と聞かれたら困るだろう。
まあ面倒なので、何年か前の引っ越しでは段ボール何箱分でしたとか、適当に答えはするが。

我々は好きで読んでいるのであって、ひと月に何冊読むか、何冊保有しているのかは大事ではない。要は考えなしなのだ。
(一か月100冊読んでます!というような人もいるが、これは自己投資として目標値を定めている人に多いように思う。もしくは一種の収集癖)
そもそも、本の厚さや内容で読了の時間が変わるから、月に読める冊数は変化する。本人の体調や気分、空き時間にもよるだろう。
実際に私の場合、去年の手帳を見る限り、新刊に限れば一冊も読まない月もあるし十冊以上読んだ月もある。再読はカウントしないので何冊読んでいるのか本人も知らない。

何冊持っているかだって、個人によってお財布事情が違う。気持ちの上では本屋ごと買い占めたいくらいなのだ。
そもそも、何をいくつ持っているか?は個人の資産に関する質問であり、本人もうっかり出費を計算してしまうと真顔になってしまうので、お控えいただきたい。

そして小説を読むような人なら、漫画なんて読まないよね…みたいな偏見は何なのか。読むよ。
確かに、小説は読むけれど漫画は苦手という人は一定数いる。
これは(やっぱり私の場合だが)漫画を見下すわけなどなく、文字しか追っていない人間にはいかんせん情報量が多くて疲れてしまうからだ。
ブラック・ジャックですら、一冊読むのに二日かかったりする身としては、むしろ漫画を読んでいて疲れないほうがすごいなぁ、と感心する。

聞いた話で驚いたのが、電車など人前で本を読んでいると嫌味に感じる人もいるという。何故だ。
そういう人には、本を読むことと、あなたがスマホで何らかの記事を読むことは、どちらも等しく日本語を読み取る行為だと言いたい。
現実逃避という点ではネットも読書も全く同じだ。
どうか本を読むことを、特別視しないでいただきたい。



長々とぼやいたが、無論のこといずれも個人の感想だ。ふぅ。



本の収納について、光文社新書さんの公式noteにとても良い文章が書かれていました。さすがです。