ポケモンGOのアバターの選べる体形から感じた、多様性賞賛時代への疑問。
ポケモンGOの最近のアプデでいちばん驚いたのが、アバターの体形が選べるようになっていたことだった。まめに毎日プレイしているわけではないので気づくのが遅れたのだが、
熱心なプレイヤーである夫が、「自分のアバターが異常にいかつい」というので夫の画面を見ると、女の子にしている夫のアバターが、柔道選手ばりのムキマッチョに。
「ゲームでくらい可愛い綺麗な姿がいい」と即座に細い女の子に戻してました。
選んでないのに変更されてしまったのはバグだろうが、私も自分で起動してみて、アバターデザイン画面を見てびっくり。
なるほど。多様性にセンシティブな時代らしい仕様変更である。
髪や肌、目の色は昔からゲームアバターを作成するときに選べることが多かったし、色々なアバター作成ゲームなどで、ちょっとぽっちゃりとか丸顔とかシワを追加しておばあちゃんぽくしたりはできるサービスはあった。
今回のポケモンGOのアバター選択で「時代を反映してるな」と思ったのは、
単純に「太め細め」の体形選択ではないところだ。
女性の顔立ち、髪型に、筋肉質なゴリマッチョ体形もつけられるし、
男性の顔立ち、髪型に、乳房のふくらみが明確にわかるほっそりしたモデル体型をつけることも可能。
ただし、股間に関しては、男性的なふくらみとか、女性的なY字の影(萌えキャラ使用ポスターでいわゆる”フェミ”に燃料投下するアレ)は極端に省略することで「性別」を消している。
私自身は古い人間なので、もろ手を挙げて「多様性ステキ!」という価値観ではないのだが、積極的に批判したり拒むというスタンスでもない。
もう時代を創る側の世代でもなくなっていることもあり、お若い方々が生きやすいようにお好きにやっていただければ・・・程度である。
ただ、日本の中途半端な男女平等に対して思うことはある。
いま平等になっているのは「義務」部分のほうが大きい。
働きたい女性が自由に好きな仕事で働ける社会、ではなくて
働きたくなかろうが女性だろうが労働して納税して当たり前社会である。
先日少し触れたが、北欧の男女平等はそういうことである。
全員が労働して納税しないと、一見素晴らしい「福祉」の資金が足りない。
アジア人女性は小さい。民族的なフィジカルの差異というのはどうしたってある。
平均身長180cmで骨格もいかつい西洋や東欧の女性と体力基準も違う。
今は自由でいいというが、自由には責任と義務がセットでついている。
昔の女の子は自由も少なかったが、父や夫に保護もされていた。
虚弱であまり賢くない女の子でも、お嫁にいけば一生安泰で暮らせた時代があった。
そのほうがいいという話ではなくて、
本来なら「選べること」が真の自由なわけですが
実際問題、現代の日本は決して、自由な生き方を選べる豊かさ、などありません。
勉強が得意でない人が働いて稼げる仕事はロボ、機械、AIによりみるみるなくなりつつあり
体の弱い女性がゆっくり家事だけして生きていけるほど、男性の収入が昭和のようには高くなく、一馬力で家庭を経営できない。
ゲームのアバターの体形の変化に、「選べる自由さ素晴らしさ」よりも
「批判や指摘をどうにか回避したい『逃げ』」のほうを強烈に感じてしまうのは、ひねくれすぎだろうか。
おもてなし、が嫌いなのも「クレーム回避」が本音だからだと
サービス業で働いてきて痛感するからなのですが。
カスタマーに奉仕する、喜ばせるため、ではなく
批判、クレームを回避することに情熱を傾けすぎでは?と
最近の「ススんだ価値観の体現」に思うのでした。
リーンボディ(オンラインジム)でも
パートナーと協力して一緒にエクササイズ、というシリーズが
男女ペアじゃないんですよ。女子2人。
ルームメイトかもしれないし、「カップル」かもしれない。
パートナー=男女 を映像化すると批判を浴びる可能性があるからなのだろうな、たいへんな時代になった。だったら最初から中性的なAI生成の画像にしてもいいのでは?と。
まあるいおしり、バストアップ、女性的なくびれ、を追い求めるユーザーにも魅力を感じてもらわねばならないし、
性的なものを嫌悪する層にも気を遣わねばならないし、
四方八方に気を遣い「配慮」を要求される時代、それって
「生きやすい」時代なんでしょうかね・・・
「女性らしい気配り」なんてことも危うくて言えない時代に
今、秘書検定の勉強をしているのですが
上司より数歩下がって歩く、みたいなテキストの表現を見ながら
イラストは男性中高年上司に若い美人秘書イラスト
なんだか、新しいものを無理やりツギハギにして結局脆弱でボロな布みたいに社会がなっちゃってるな・・・・と感じています。
新しい時代に移行するときはそんなものなんでしょうけどね。
本当のやさしさは「片目をつむって黙認」と思う人なので
「変わっていること普通でないことを多様性、と持ち上げて時代の申し子として祝福、賞賛」
「でも本音はクレーム、批判が面倒だから」
という今の雰囲気が、個人的には面倒くさいです。
隣に男性同性愛者カップルが例えば転居してこようが
「ふーん」だけ、そういう社会のほうが温かくないかなぁ。
少数派に極端に配慮した結果、マジョリティが生きづらくなってしまうのは
ちょっと違うような気がしている。
興味があるのは、ポケGOで選べるようになった体形で
筋肉質ではなく「肥満体型」を選ぶ人は実際何割いるのかな。
「太っている」のも多様性の1つのようですが、医学的に「不健康」であり
体型に関しては、多様性万歳はちょっと違うと思っています。
ガリガリが賞賛されることに問題意識をもつ、ところから
振り切りすぎなんですよ。
先日、駅の女子トイレで
どう見ても男性、の服装、髪型、の人がトイレの個室から出たら目の前にいて、「ヒッ」と声が出そうになりました。
ひと昔前なら悲鳴をあげて通報、だったでしょうけど・・・。
今は逆に訴えられかねないので我慢しました。
「安全安心に公共のトイレを使いたい」という「ふつうの女性の権利と自由」は
誰がどう、保証してくれるのでしょうかね・・・・。
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