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東京自習会の美術鑑賞サークルでブランクーシ展を観る。「本質」を象る。
5月の美術鑑賞サークルをファシリテーターさんがブランクーシ展にしてくださり、楽しみにしておりました。日本初じゃないでしょうか。
鏡面作品など、運搬も非常に難しい中、よく開催してくれたという思い。
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台座は絶対マストという既成概念をとっぱらった、ころっと置かれたミューズ
生命の根源である「たまご」がたにこだわった、つるんとしたまるみの鏡面作品。とても好きな作品です。モジリアーニとも「頭部」への執着において気が合ったようですね。
表情を鑑賞者にゆだねる、「本質」へそぎ落としていくスタイル。
鏡面作品は周囲を映します。観ている人も作品の一部になる。
観るものと作品の境界線への挑戦が鏡面作品の1つの魅力だと思います。
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![](https://assets.st-note.com/img/1716809391238-C78QTw8M5M.jpg?width=800)
プリミティブな人類の姿は石膏で。他者を一切映さない純白の閉じた空間。
よく、愛とは見つめ合うことではなく同じ方向を向くことだとか言いますが
それじゃ殖えないのですよ。それは「同志」の姿であり、性愛あってこその生命なので、近づきすぎてもはや相手の顔など見えない、解けあってしまっているこの「接吻」こそに、腕の中に抱きながら奪っている情欲、愛を感じます。
![](https://assets.st-note.com/img/1716809417487-HnmAG6rwEB.jpg?width=800)
重力から解放されたい。鳥のモチーフ時代のこの雄鶏も好きです。
意図的に背景に青い壁を配置してますね。角度により、半分青く見えます。
鶏は飛べませんが、誇り高く上をつんと向いて雄たけびをあげています。
本質の追求。ブランクーシの執念を感じる作品群をまとめて鑑賞できる本展、おすすめです。
常設展も石橋財団の素晴らしい日本近代美術を中心としたコレクションが鑑賞できます。
撮影OKでびっくりしました。
最近はSNSで拡散して来場者を増やしたいという意向なのか
撮影禁止なら「行ったよ」とSNSでアピールできないから行かない人、もそこそこいそうなご時世だからなのか。
彫刻は鑑賞する角度により発見があるので、撮影して気づくことがあります。それこそ「映り込み」など。
ブランクーシはカメラ撮影もよく行ったのでしたっけ。
深淵を覗くとき、深淵もまたおまえを見ている。
彫刻に映った自分やスマホに気づくと、何か思うところがあると思いますよ。
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