父親が苦手だという話
私の家庭は、一般的に見れば非常に恵まれた家庭であるとと思う。
仕事熱心ながらも家族サービスを欠かさない父と、共働きながら懸命に自分を育ててくれた母。仲睦まじく、時に微笑ましい夫婦喧嘩もあった。
ああ別にどっちかが死んだとかそういう話じゃないんです。両者ともに高血圧ながらおおよそ健康なのでその辺はしばらく心配なさそうなんで安心。
ただただ自分が、その父が苦手な人間であることをきょう再認識したというだけの話です。
この話をする前に少しばかり身の上話をば。
私は高校進学を失敗し、滑り止めの某大学付属高校に入学することになりました。当然多くの人間が内部進学を活用するように私もそうしました。
そうして大学で4年間教育に関して学び、結果的にそれとは全く関係ない職に就くことになり。30時間もしないうちに私は、「大学生」でなくなってしまいます。そんな中本日久々に両親と昼食を共にしたときに、異様に体調がすぐれないことに気づきました。気圧が極端に低いわけでもないし、前日に何かあったわけでもないのになぜだろう、と考えた結果、気づきを得たというわけです。
以下経緯についてです。
先述した通り私は内部進学を用いて大学へと進学しました。その選択をするときに、父と多くの時間を使って話しました。出資者になる父から告げられる内容の多くは「無理に進学するなら就職したほうがマシだ」というものでした。これ夕食が被るたびに週2~4くらいのペースでされるんです。普段は話が行き過ぎる前に母求めに入るのですが、こればかりは重要な内容であることを分かっている母が止めることはついぞなかったです。まあ当然っちゃ当然なんですが。
この話の際、多くのタイミングで父は飲酒していました。父は酒を飲んでいるときに機嫌を損ねると話が長くなるのでなるべくそうならないように話を合わせつつ進学したい旨を伝えて話を終えていたのですが、これが内心結構なプレッシャーになっておりまして。
それ以来どこかに苦手意識を感じていました。
ここから4年経って、教採に落ちた私へのお話の内容は進学から就活になり、自分の仕事への理念などを幾度も聞きました。内容に関しては理解できるし、なるほどと思うこともある物の、聞いている私の心の中にあるのは、「次は何を言われるのだろう」正確には「次はどんな嫌な思いをするのだろう」という恐怖にも似た何かでした。
無論そういった話ばかりではなかったし、素面の時もありました。それでも一度ついてしまったイメージは変えがたく、一緒に食卓を囲むたびに内心戦々恐々としていました。次は何を責められるのだろう、次はなにを求められるのだろう。私は決して優秀ではなく、大学を通して何者にもなれず、何かを知らなかったことすら知ることができなかった。
何にもなれなかった私が、何かになれた父との会話を通して対比されているような気がしてならなかったのです。
そうして今日、他愛のない会話しかしていないのに、昼食を共にするだけで体調がすぐれなくなっていくのを感じました。
中身のない内容ではあるが、きっと人が人を拒む理由なんてこんなもんなのだと思う。「だから」どうというわけでもないが、どうというわけでもないからこそ、どうにもならいからこそここに残しておこうと思う。
一応これを2021年1~3月の生存報告の代わりとする。
本当はもっと入り組んだものなんだろうけれど。
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