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活動者とリスナーの境界線 ②

今回は活動者とリスナーの境界線に、なぜ壁があるのかというお話。
いや、考えて答えを出した事がある人には何を今更な話なのですが、案外なんとなくって人も多いようなので。
ただ結局いつもの持論です。読んでも「こういう考え方もあるのか…」まででよろしくお願い致します。

最初に「活動者」を大枠で2つに分けたいと思います。
一方は価値あるものを生み出す活動者さん。作家さんや絵を描く方、曲を作る方と様々。
もう一方はその人自身が価値となる活動者さん。アイドルやVtuberさんなどこちらも様々。

今の時代この2つが重なっている方も多くなっていらっしゃいますけどね。絵を描くVtuberさんとか作曲するVtuberさんとか。今回は分かりやすくしていきましょう。


特に壁が必要なのは後者、と言えば正直もう分かるかと。

価値あるコンテンツである自分自身に、お客さんが自由に触れられるようでは困るって事だと認識しています。
他にも色々な要素はあると思いますけどね。過去にここでも語ったように、個人が維持できる関係性の数の限界とか。ただそれも結局、自分に価値があるから触れたがる人が多くなるので~という流れから生まれる問題と考えています。
複合要因の結果として、例え本人が望んでいなくてもそうなってしまうものではないかと。

これ自体はまったく当然の事だと思います。
というかそうでなければこの形の活動者は成り立たないから。
だから境界線に壁はあって当然というか、無いと困るものです。


あ、これ自分(夜梟)としては自分自身に価値を設定しないことで回避しています。活動者と名乗りたくないので。一切の壁なく皆と交流したいので。だから立ち位置は「活動はしてるけどリスナー」


今回のお話はこんな所ですが、これに関連して自分が物凄ーく苦手なものが一つありまして…。
長くなりますのでその話はまた次回。