余白がもたらす個人部屋

自分にはなぜこんなに余白が必要なのだろうと考えていた。ここでいう余白とは何もしない時間のことだ。なんとなく分かってきたのは、余白には大袈裟なもの、あるいはそう見えるものを大袈裟ではないものに変質させる力があるように思う。力というほど立派なものじゃないかもしれないけれど、これは凄いことだと思う。時間が一定方向にしか進まない意味もこの辺にあるのかもしれない。どこが凄いのかって、大事なことは大事なこととしてそのままにしておいて、大袈裟なことだけについて大袈裟の重量を低減してくれるところ。誤解しないでほしい、”大袈裟な部分だけ”を排除してくれるという意味だ。

それと同じような効果があるものがないか考えてみると、「笑」がそうなもかもしれない。動物が笑っているところを見た人はいないはずだ(いたら教えてください)。「笑う犬の冒険」という番組が昔放送されていたが、私は実際に笑う犬を見たことがない。つまりは人間だけに与えられた能力、特権なのだろう。一番最後に獲得した能力。人生で遭遇する悲劇を意地でも喜劇に変換する能力。だから笑いを生み出す人々が最も優れた人種ということになる。職業でいえば芸人さんだ。人間の中で一番高度な能力を駆使するのが仕事。なんて過酷なんだろう。笑いは「技」なのか「能力」なのか、端から見ていても分からない。でもなんとなく、世の中には芸人になりきれない人というタイプの人もいるようだ。それが悪いわけでもないし、何かが余分なのか何かが足りないのか、よく分からないから言葉にできない。

思考は続く。あらゆる生物の中で人間の次に笑いを獲得するのはカラスじゃないかと思っている。鳥類のあの黒いカラスだ。公園や人家のベランダで悪戯したり、近づいてくる敵を猛烈に攻撃したり、ゴミを漁ったり食い散らかしたりして人間に嫌われることばかりしているけれど、彼らはそろそろこの現代世界に退屈しはじめているのではないか。だとすればカラスが笑いだすのも案外近い時代のことなのかもしれない。

去年の一時期、私の目を覚まさせるのはスズメではなくカラスだった。カラスが私を起こす。あれは習性ではなく嫌がらせだったのか。芸人のボケ担当を地で行く私を笑ってくれていたのかもしれない。だから私のような人間が増えればカラスたちはきっと笑い出す。異常なカラスは異常な人間を触発する?カラスと人間が漫才をやり出したら、案外世の中は救われるかもしれない。でなきゃこんな世界…

笑いは常識が前提だと誰かが言っていた。そうだと思うけれど、常識という殻を破るのは己自身だ。だからチームを組んで破るものではないように思う。小説「人間」の中で、たしか奥が言っていた記憶があるが(違う?)、殻は一人で破るから爆発的な快感が得られるのだと。自分さえ快感に包まれるなら他人や他の世界など知ったことではないというエゴイスティックな感覚だ。そのカタルシスを私は漠然と自分自身に追い求めているのだろう。おこがましさを捨てて不遜を恐れずに言えば、世の芸人さんと私が目指していることは案外似ているのかもしれない。ただ職業としての芸人さんがプロで、私は何の肩書きもないただの女、という違いがあるだけだ。大した違いではない。そう考えるほうが私は嬉しいし性分に合う。

一人 VS 大勢、「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」で、フィンランドのクロの家で、つくるとテーブルを挟んでクロとその娘たちが並んで立っているという構図、つくるはそういう構図が最初から出来上がっていたかのように感じる箇所がある。そのときのつくる本人は寂しかったかもしれない。が、それは私の中に時々頭に浮かぶ自分と世の中の構図でもある。自宅のダイニングテーブルのあちら側に椅子は一脚しかないのに大勢が立っている、こちら側には私一人だ。私にはその孤独なつくるがどうしようもなく魅力的に思えた。頭の良い多崎つくると本気でボケる私の共通点だ。彼は色彩を持たないわけではない、つくるは一人だから、一人だからこそ、それが彼独自の色彩を放つのだ。

図書館で「『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の読みかた」とか「『1Q84』をどう読むか」などという本があった。なんでこんな本があるんだろう。せっかく自分流に楽しめる読み方がいくらでも用意されているのに。

本を面白く読むというのは共感するだけではなく、どれだけ自分の疑問や考えを引き出してくれたかということも含まれると思う。著者のファンでもない限り誰もがワクワクしながら本を読みだすわけではない。「ちょっとそれ、違うんじゃないの?」と思える本だって、その本と束の間疑問や意見を持って過ごしたことになるのだから。人でも本でも、向き合うというのは相手の期待に応えるだけでなく、楽しく過ごすだけでなく、普段は表に出にくい感情を刺激し合うことも”向き合う”ことの一つではないかと思うのだ。「コインロッカー・ベイビーズ」のキクはそんな奴だし、私もそんな奴だし、ハシもそれを理解していた。私にとって「面白い」とは楽しいこと以上に、良かれ悪しかれ退屈しないこと。

リハビリのような文章で、絞め方も分からないけど、ここで生ぬるい思考が生ぬるく停止したのでこのまま載せることにします。


#雑記 #笑い #余白





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