見知らぬ朝

自分の弱点を克服するプロセスで自己否定は避けられない。けれどもその自己否定が元々持っている自分でも恐ろしくなるほどの長所まで希釈してしまうことが果たして進歩なのかという新たな命題が立ち上がる。世を襲うウイルスも世界との共存のためには最終的に弱毒化する運命にあるのかもしれない。でもここで考える。安心安定には自分を認め求めてくれる他者が本能的に不可欠であると同時に、それと対極にあるタブーへの挑戦や冒険は一人でしかできない。その価値と、見知らぬ数の見知らぬカメラ、見知らぬ人々の視線の中で、遠く離れた想人にしがみつきたくなるほどの恐怖と隣り合わせでいるときの業の困難さ。業を超越したがるバカがここに一人。思いもよらない絶壁から段々畑を作りながら海を目指すか、それともここにこのまま立ち尽くして踏み止まるか。両手では足りないほど迎える冬の見知らぬ朝。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?