「老後破産」

 ネットの記事、ビジネス雑誌の見出しなどなど、どうしてもぼくの目に入ってくるもののなかに、「老後破産」という言葉があります。これを見るたびに、どうしても不安があおられてしまいます。

 いままで、病みながらも公務員をしてきて、経済的に特に困窮することもなく過ごしてはきました。ただ、病が重なり休まざるを得なくなる現実、気がつけば特に労働市場で通用する技能を持ち合わせていない自分に気がつき、また公務員ではない周りの友人たちが重労働と薄給を自慢げに語る姿を見ていると、「自分たちの将来は大丈夫か?」と嫌でも思ってしまいます。

 加えて、グローバルに活躍している知り合いたちや「成功者」の姿を見ていると、なにかこう、自分の劣等感が掻き立てられるというか、「うつ病にならざったら、田舎に帰らずに都会で、いや海外に出て行って成功していたかもしれんがじゃに・・・」と思い、いままでの人生が徒労のように思えてしまうことすらあります。

 冒頭の一連の老後破産がらみの記事を見ると、定年退職後なくなるまでに必要なお金は3,000万円とも5,000万円とも書いてあります。他人の財布を知ることはできませんが、経済的に恵まれたとされ、いまどきの小学生が一番憧れると言われるわれわれ地方公務員をしてるぼくの同僚たちを見ていても、どこにそんなお金を蓄えているのかと思ってしまいます。ぼくの同業者には、住宅ローンで少なくても3,000万円を超えるローンを組み払い終えるのに72歳まで支払いしないといけない友人がいます。彼の奥さんはパートに行き、長男くんは都会の高校に出て行きで、給与はぼくと大して違わないはず。彼とファミレスで食事したとき、「君、奥さんがしっかりしててどこかにへそくり貯めてくれてるやろうから、繰上げ返済でどんどん返してくれるのやないのかなぁ?あと、子どもさんたちが出世して、お父さんたる君にお金を上げてくれるようになるかもよ。」と冗談で言うと、真顔で「あほぉ!そんな余裕あるわけなかろうが!」といわれ、思わずすまん!と謝ってしまいました。

 そう、昔、といっても昭和の時代には、都会に行って成功した孝行息子が田舎の親にお金を送ってくれているという話がちらほらありました。小さいころ親や近所の老人たちにそういう話を聞いて、「おまえも大きくなったら、そんなちゃんとした大人にならにゃいかんぞ!」といわれて育ちましたが、いまは逆に田舎の高齢者が都会の孫の学資を支出しているパターンがあるとききます。

 世の経済学者はじめみなさんは、ちゃんと庶民生活をみているのか。値段も場所も高いところで、小指をピーンっと立てて生活してる人たちばかりをみながら「貧乏人は馬鹿で愚かよのぉ」と思いながら下界を見ているのではないか。そんなことすらかんじてしまいます。

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