「呼び寄せ症候群」を田舎から見る

 最近、都会に出て行った娘さんや息子さんが、田舎に住む老いた両親や単身になった父や母を一生懸命説得し、都会に連れてくるケースがあると聞きます。

 メディアでは、中年になった都会の子どもの側から見た報道がなされることが多いですが、高齢者が隣人として住むぼくの視点から、書いてみたく思います。

 ぼくにとって忘れられないエピソードがあります。ぼくが思春期だった頃、数キロ離れた山の中に一人で住んでいたおばあちゃんがいました。子どもたちはみな都会に行き、そのうちの何人かは会社を経営してお金には不自由しない生活。盆とお正月にはいつも帰ってきて、耕作放棄地にならないよう田んぼもちゃんと耕し、毎月10万円お小遣いを送っていたそうです。

 周りの大人たちは、そういう都会に出て行って半ば徒手空拳で成功して地歩を固めた人たちを示し、「あそこの息子みたいに立派にならにゃいかんぞ」と僕らに言い、素直だったぼくも「そうじゃ」と思っていました。

 そんなある日、そのおばあちゃん、となりのおばあちゃんのところに泣きながらきたというのです。いわく、「都会の息子がいうには、おかあをあんげな山奥で一人で死なせとうない。川のすぐ側の寒い家で、冬にはたった4時間しか日が当たらん谷底での生活はもういかん。はようわしの住みよる都会に来い。おかあには暑い寒いも関係ないようなええとこに住まいできるようにかまえちょる。食いたいもんも食わせちゃる。願いは全部聞いちゃるけん、どうか来てくれ。息子はそんな話をしよるが、わしゃあ、もうこの歳になって今さら誰も知り合いのおらんところに行きとうない・・・涙」。

 それでも親孝行のつもりで強硬に都会に来るようにいう息子さんに従わざるを得ず、文字どおり泣く泣く大都会に出て行ったそうです。

 その後、ぼくの母親や泣きついてきた家のおばあちゃんが、「あの人、都会でええ生活してるのやろうねえ・・・都会で儲けよる孝行息子がおったらええのぉ・・・」と言っていたところに、帰ってきたとの連絡。その間、わずか一ヶ月でした。
 行く前に泣きついてきた家に同じようにきて、「わたしゃ、やっぱりここがええがじゃ。息子は親孝行のつもりで尽くしてくれて、いろんなええもんを食べさせてくれたが、やっぱりいかざった」。

 その後、住み慣れた谷間の家で元気な間生活し、体が不自由になったあとは地元の老健施設に入所し、亡くなりました。

 そのおばあちゃんの息子さんは、中学卒業で都会に出て行き、奮闘努力を重ねて成功した方です。ぼくも幼い頃はそうでしたが、多分その方にとって、生まれ育った田舎は山河に遊んだ思い出がいっぱいつまった懐かしい山紫水明の場所であると同時に、どこか恥ずかしい場所・遅れた場所という意識があったのかなと察します。ぼくも思春期までは、都会に行って、いや海外に行って成功し、親に広い世界を見せちゃるがじゃ、「銭がない!」が口癖の親に毎月最低でも1,000USDか1,000EURは送ってあげたい、それが親孝行なんだと強く思っていたので、なおさらそう思います。

 ただ、それが親にとってはただの押し付けやありがた迷惑だったりするのではないかということに、都会で生活していると全く気がつかなくなるようにも思います。ぼくも、大学に入って夏休みに帰って稲刈りをし、冬休みに帰って田んぼの枯れ草を刈りお風呂の薪をチェーンソーで切る生活をしながら、「おやじ、おかあ、一回、東京に来てみんかえ?ええホテルの値段も場所も高いとこで、酒でも飲んでみんかえ?」と言った途端、「いやぜお!」と一言言われ、ハッとおもってことがあります。都会に出た瞬間から、常識はどんどん田舎とかけ離れ、ついにはわからなくなる。そこから「悲劇」が始まってしまうのを見た思いでした。

 善意が悲劇を招くのは、本当に悲劇です。もちろん、都会に呼ぶのが悪いわけではありません。
 ながながと書きましたが、必要なのは、親孝行のこころと、親の自己決定権のバランスなんだと思います。

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