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HSP×社畜のトキメキ処世術(19)「いい人」ほど潰れるワケ

みなさんこんにちは。孤独のサイコマンです。 

 昨日から急に蒸し暑くなりましたよね?  

 最近、季節の変わり目という言葉が死後となるくらい、季節が一気に進む気がします。

 急に暑くなったと思えば、急に寒くなったり、「穏やか」という一日が大変少なくなり、 いまのご時世を天気まで反映しているような気がして気がめいりますね。。。  


 きょうは社畜20年の処世術として、なぜ社会は「いい人」ほど潰れやすいのか?というテーマでお話いたします。 


  ①そもそもいい人ってどんな人?

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 ちなみに、よく巷で「いい人」っていう言葉をよく聞きますがそもそもいい人ってどんな人なのでしょうか?  

 私の20年の社会人人生でおけるいい人についてよい側面から例をあげると、

 ①誰からも憎まれない人(悪い意味で言えば八方美人)。 

②いつも周囲に気を配り、雰囲気をよくする人 

③困っている人をつい助けてしまう人 

④相手の相談やお願いを基本よほどの事情がない限り断らない人 

⑤基本頼られる人  

 まだいろいろあると思ますが、基本的にこんな感じかなあ・・と思います。 逆に先に記したものは、「ポジティブな側面」から見た「いい人」のケースです。  悪い側面からみると、下記の通り変換できます。  

 ・なんでも引き受けてしまいノーといえない人 

・どう考えても相手が間違っているが、「間違っている」と伝えられない人 

・利用されるだけ利用されて用がなくなったら使い捨てされる人 

・人間関係のトラブルを嫌うため、基本的に主義

・主張をしない人 

・他人に自分がどう映るかばかり気にしてしまう人

  ずいぶん印象がかわってしまいますが、いいひとというのは実はこのようにネガティブイメージで使われることが多いです。 

 よく恋愛でも仕事でも言われている人がいませんか?

  「人としてはいい人なんだけど、恋愛対象としてはNGね」 

 「あいつはいい奴なんだが・・それどまりだよなあ」  

 つまり、いいひとというのは=搾取されやすく役に立たない「調整弁」として使い捨てされるタイプの人間ということに言い換えられます。

  正直、子供のころから「役に立つ人になりなさい」「人にやさしくしなさい」「相手の嫌なことはしないようにしなさい」「相手を思いやる人になりなさい」と親や学校の先生に言われたことってありませんか?  

 もちろん、人間として大事な要素なのですが、私が社会人で会社を3社渡り歩き、インタビューアーとして様々な職種、年代、性格、立場の人たちと交流してきた結果をお伝えしますと、  「いい人」ほどコスパが悪く損をする人生を歩んでいるということです。  

 しかも、圧倒的に性格がよいとはいえず、他人を踏み台にして、相手を利用して、なるべく自分の利益が最大化になるように常にいろいろと考えている、自分の利益最優先主義の人間たちが、「会社でも事業でも成功している事実」があります。  具体的に過去のケースを基に説明していきたいと思います  

 ②いい人は「搾取」される!!

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いい人は「搾取」の対象になりやすいです。

  まず、学生のみなさんに該当するのは「いじめの対象になりやすい」ということです。  

 上記のように「人間関係のトラブルを嫌って」摩擦を嫌い、何か嫌なことを言われても笑顔で受け流し、言い返さず、全体の調和を図る子供は結構います。  

 家族環境の影響などさまざまな要因でそういう性格になっているとは思いますが、これはぜひ学校や親が矯正したほうがよい性格です。  

 そのまま大人になっていけば、少なくても確実に相手からは「舐められる」対象になり、下手をすると集団のいじめの対象になります。 

  基本的に人間も生物ですから、自分に危険を及ぼすかもしれない対象者には手を出しませんが、相手が何も歯向かってこない、反抗してこない、いうことをきく、など自分にとって都合のよい要素しかない場合、確実に「いじめの対象」とします。  

 一つの学校、一つの組には必ず1人か2人はいじめを行う要素を持った人間は存在します。

というより「搾取する」側か「搾取される」側に社会はわかれていますから、どちらかに分類される限り、いじめを行う人間は目の前にいます。  ここで、「いい人」で終わらないために大事なのは「戦略を立てて」相手に搾取されず自分の利益を最大化するような言動をするということです。  

 よく周囲を見ていればわかると思いますが、性格も穏やかでトラブルを極力さけつつ、いじめの対象にならない人間というのがいます。  

 こういう人たちは実は微妙に弱さのみを相手にみせず、「奥底知れない恐怖」であったり、「相手に手を出させないバックの存在」「相手に手を出させない立場」などを用意してそういうった攻撃を避けているのです。 

 おそらく社会に出てもこういうタイプの人間というのは探せばいくらでもいますが、 まさに「立ち振る舞いがうまい」という人間のことなのです。  こうした人間たちは実に勉強もしていますし、相手の特徴を見抜く心理戦にたけており、間一髪のところで火種にならないように、ぎりぎりのトークや行動をしているのです。  

 私も社会人歴20年で会社は3社目ですが、どの会社にも立ち振る舞いがうまく、上層部にも同僚、後輩、取引先にも敵を作らず、標的にされず、それでいて成果もある程度あげているような「小癪な」タイプというのは存在します。 

 いい人というのは基本的に「不器用」なので、こういう立ち振る舞いができない場合が多く、逆に本心で全部しゃべってしまったり、困った人を見捨てないかわりに火中の栗を拾いにいってしまったり、

絶対相手にしなくていい危険人物に正義感で対峙してしまったり、引き受けてもまったくメリットにならない業務を周囲の人間のために引き受けてしまったり・・・とろくでもないことばかり自分から申し出ては、痛い目にあってしまっているのです。l 

 高倉健の「不器用ですから」ではないですが、映画の世界ではそういう人間が結果的に主人公になるケースが多いのは確かに本当です。

それは「本来ならば、人間というのはそういう生き方が一番シンプルだし、素敵だ」と誰しも思っているのです。

しかし、それができないのは、それだけ世の中の人間というものが関係性においてもドロドロしており、弱肉強食であり、マネーが全てであり、経歴や学歴が全てであり、体の大きさが全てであり、という厳然とした凍てつく事実が横たわっており、そういう「理想論」では生きていけないことを誰もが知っているからです。

  私が見てきた日本社会は年齢が上がるにつれて「ばかしあい」「だましあい」「搾取しあい」の比率が増えてきます。  

 そういう生き方が嫌なら、もう地方の小さい都市で小さい企業で、競争も少なくでも需要は安定しているような安定した会社で、みな温厚で急がず、家族みたいな会社でひっそり暮らすのが一番かもしれません(それでも中には変わった人はいると思いますが・・・)

  東京に近くづくほど、中枢に近づくほど、大きな組織になればなるほど、みなぎすぎすして、人間らしさを失っていくのを目の当たりにしてきました。  

 私ももともとは東京ではない支店で社会人をはじめましたが、本店に来たらやはり、人間関係はギスギスして、支店のころのおおらかさはなくなりました。  意味があるのか。

こんな形でお互いを競争させても全体の需要がない業界で、お互いののしって疲弊しあって、足を引っ張りあって、そして何も誰にも役に立たないコンテンツを提供して意味があるのか??? 

 そういう考えが毎日よぎる日々なのです。話はそれましたが、とにかく中枢に向かうほど「いい人」の影は消え、「虎視眈々と相手を蹴落とすことを考えている」戦略家、野心家、プライドの塊の人間たちの骨肉の争いが永遠と繰り広げられているのがまさにトーキョーという町です。

  ③いい人はどう生きていくのか? 

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それではいい人というのはどういう風に生きていけばいいのか?

  かくいう私も「いい人」といえるかどうかはわかりませんが、  人に主義主張をいったり、争ったり、言い負かしたり、誘いを断ったりということができない、調整弁のタイプの社会人でした。

  何度か体調を崩して倒れておりますが、たとえば周囲の人間だったら、「あの人とは働きたくない」とか「あの部署は仕事が向いていない」「あの部署は仕事量が多すぎる。自分の給与とはみあわない」などと傲慢ともえいる主張をして、人事に異動させないようにしたり、  傲慢で危険人物がゆえにアンタッチャブルとなり、だれも何も言わないことでより大きな顔をするような人間がのさばっていることが往々にしてありました。

  これが残念なことに3社ともです。

3社とも傲慢な人間のほうが生き生きと自分のやりたいことができるという本当に「残酷な真実」がありました。 

 たとえば、これほど全体の調整を考えて、みなのプライドを調整して、調整弁として、仕事が回るように努力をしているので、人事や上司もある程度そこも見越していると思いきや「そんな幻想はまったく無駄」だということも知らされました。  

 人事も結局はそれぞれの評価者からのシート以外は何も独自リサーチはしていません。ですから上司がダメなら終わりです。残念ながら一人ひとりまで「誰かが見てくれている」という発想は甘すぎます。 

では自分のようなタイプはどのように生き残る方法があるのか?  

 それは一つには「自分で独立して起業する」ことだと思います。私はそれがかなっていませんが、 やはり人間関係でストレスとなり、だれかの評価に期待して生きるのには「いい人」では通用しません。 

 むしろ相手を出し抜き、相手を蹴落として、自己アピールを狂ったようにする異常者のほうが結果的に成功します。

成功するというか、ただ目立っているだけですが、目立たないと相対評価では成功しないということです。  

 日本の会社は絶対評価が少なく「相対評価」で人事評価をする会社が圧倒的に多いです。 

 そのほうが人事が楽だし、逆に年功序列終身雇用ではみな同じA評価7割のほうが不平不満も生まれず、護送船団方式で歯車として進んでいけるからだと思います。  

 しかし、この時代には逆に「いい人」のほうが、生き延びるチャンスだと思います。 なぜなら、伽藍からバザールに市場が移行していて、同じ会社でマイナス評価を気にしてびくびくしながら、生きる「いい人」では絶対成功しませんが、バザールに出て、自由奔放に人にやさしく頼りにされる生きたかをのびのびできたほうが全体市場としては需要があると思います。  

 伽藍(会社)の中で気が狂った欲望の塊のような人間がえらくなるのですが、いいひとのように大勢の人から好かれる人のほうが、全体の大きな市場では成果が出しやすいのではないかと思います。

  ですから、いいひとほど、一つの会社にとどまらず、もっと自分自身を発信して、いろいろな世界に飛び出し、副業をして、社会の役に立つ人間になってほしいと思うのです。  

 性格が悪く、自分のことしか考えていない人間んは伽藍のような、成熟企業の駒として働いていく上ではうるさ型で、勢いもあり、それなりに仕事もはやいので、企業としては役に立つと思うのですが、もっと創造的に人に愛される人間のほうが、より大きなバザールの世界で羽ばたけると思うのです。  

 ですから、一つの会社に執着しているみなさん!そんな目の前の頭のおかしい上司の目線を気にして、萎縮しているならば、もっと広い世界でのびのびと仕事をしていけばいかがでしょうか  これは社畜歴20年、成熟企業でひたすらコマとして働いている私自身への警鐘でもあります。(了)

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