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ヒトを見ていてヒトを見ない

 ヒトが顔や名前を一致させることのできる人数は150人だと言われています。1グループ最大150人でないと、ヒトの好きな絆が育まないと言えます。それ以上になると、ヒトの形をしているがXX染色体タンパク質やXY染色体タンパク質という認識になります。タンパク質に対して絆を持つことは感覚的にも難しいと言えます。鉄、亜鉛、水銀、ニホニウム、ストロンチウム、ダークマターに絆を求めないのと同じ感覚です。
 ただ、ヒトの形をしたという言葉が付くように、ヒトの形をしているので第一層的な関係、社会的文化ではなく、生物的本能は働きます。
 生物的本能とは一体なんなのでしょうか。睡眠、食事、生殖の3つを考えたいと思います。
 簡単に考えます。相手を欲するかどうかです。ヒトの形をしたタンパク質に対してそばにいて欲しいなどの感情が沸くのかどうかを基準にします。
 確かに3つとも相手がいればより心地良くなりそうですが、その割合が生物的に平等なのかどうかを考えなければなりません。一緒にいればというプラス基準ですとなかなか難しいので、どれだけ相手がいなくても耐えられるのかというマイナス基準も入れると良さそうです。
 睡眠。1人でも快適に寝れます。目的達成。
 食事。1人でも満腹を味わえます。目的達成。
 生殖。1人では子供を作れません。目的不達成。
生殖に関しては相手がいないと目的が達成できませんので、快楽ではなくあくまでも、自分(たち)のタンパク質の複製を作るという目的、生殖に関しては、ヒトの形をしたタンパク質でも認知できるということになります。ゆえに151人目に絆を感じなくても良いわけです。
 
 前から仲良さそうに手を繋ぎながら歩いてくるホモ・サピエンスのカップルがいます。私は左の端っこを歩いています。前のホモ・サピエンスらは並列歩行をして、さらには手を繋いでいるので確実に横幅が伸びています。私の歩いている道幅は大人ホモ・サピエンス2.3人分といったところでしょうか。前からのホモ・サピエンスは縦列になる様子がありません。仕方がないので、私は体の幅を0.3(道幅−ホモ・サピエンス2人分。2.3-2=0.3)に抑えるために、カニ歩きをします。これでようやくすれ違いができるようになりました。
 このような状況に出くわすことが稀にあります。目の前のホモ・サピエンスたちは2人の世界に入り込んでいるので、目の前の生命体(私)に気が付かないと考えておりましたが、立体画像把握に特化したホモ・サピエンスの目からすれば、この状況を瞬時に把握できないはずはありません。
 では、何がこうさせているのか?ホモ・サピエンスのカップルからしたら私は680人目の生命体だから、社会文化的な思考ではなく、生物的本能に則って判断され、さらに見た目がチンパンジーなのでどの本能にも反応せず、ただのXY染色体タンパク質と捉えられ、道端に転がっている小石と同じレベルの生命体と判断されただけです。ゆえに、気にかけるに値しないXY染色体タンパク質なので、相手(ホモ・サピエンスカップルから見た私)の気持ちを考える必要がないとなったわけです。
 
 
 

バナナを購入したいと思います。メロンも食べてみたいです。