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法律(刑法)の役割

「やられたらやり返す」ことによって均衡を保とうとします。機会の平等です。経済格差はそこまで躍起になって是正をしようとしませんが、平等に隔てなく国民全員に機会を与えることに関してはかなり気にします。給付金にしろ受験の採点、一見平等と捉えることに関して不平等と分かりましたら感情が爆発します。

日本人は機会の平等を壊されたら感情的になり、そしてマイナスを被った分だけの是正を求めるのではなく、そのさらにプラス方面の要求まで認識し始めます。平等を壊されたことによりマイナスになった。そのマイナスをゼロにするのは当たり前で、そのマイナスを生んだ分の補填までよこしなさいといった具合です。確かにこの感覚に違和感はございません。

さて、犯罪に関してです。マイナスを被った(被害にあった)場合、平等是正が働きマイナス分をゼロに持っていきます。しかし、先程述べた通りプラスまで持ってこようとします。このプラス分に限りはありません。

極端な例ですが殺人を見てみます。家族が殺されてしまった場合、被害者家族は平等是正により、被告に対してマイナス分をゼロに持っていく(刑の執行など)を求めます。しかし、プラス分(家族を失った分の感情)まで被告に対して代償を払ってもらいたいと感じます。その代償は、例えば被告家族の殲滅、社会的抹殺、残虐刑などが思い浮かびます。つまり罪の償いと恒常性を破壊した罪の両方です。二重罰です。殺人の場合ですとそもそも機会平等により、生を奪われたのだから生を奪うことになります。根本的な日本人の精神からしますと至極真っ当です。この精神は現代社会において多数派なのか少数派なのかの判断は難しいのですが、死刑制度の観点から見てみますと世界は廃止の流れになっておりますので、死と死の対等関係はなくなってきていると捉えます。この世界の流れに対して日本人の感覚はなかなか合いません。

機会平等という恒常性にくざびを打ち込んだものに対してはそれ以上の補填を求めます。この度合いの基準が高い日本人には法律によって一旦止まってもらう必要がある、そのような役割が法律にはあります。

バナナを購入したいと思います。メロンも食べてみたいです。