見出し画像

フランク・オーシャンをコーチェラで見た。

2023年4月16日、あの地で起こった全てを忘れたくない。
Coachella2023でフランク・オーシャンが見せてくれた全てのことと、その時に抱いた感情を。

ギリギリまで行くか迷っていた2017年のLOVEBOXフェスを見逃したことをずっと悔いていた。
思えばフランクがおよそ自分には縁遠いアメリカのロックフェスに連れてきてくれた。
彼のいる時空を目指す過程でさまざまな素晴らしいものを見ることができた…それについては別途。

夕暮れと宵闇がシームレスに繋がった広大な野外ステージ。22:05から予定されているステージに21:30ころ辿り着く。一緒にステージに来てくれた友人のえりこさんがぎゅうぎゅうの人波を掻き分けてジグザグ突き進む様子が頼もしい。彼のインティメイトなサウンドと神秘性に似つかわしくない人混みが、そのレアリティの高さを示しているようで胸をざわつかせる…ことはなく、ただその瞬間を迎えた時にどんな感情になるのか、手放しに楽しみなだけではなく、不安に近い胸の騒擾を抱えたまま無心にステージに向かって歩く。足の痛みや疲労をその焦燥が上回り、冷静に周りの風景が見える。開演を待つ間に足元ではコカインを吸い込む赤いナイキのキャップの少女少年たち、人混みの中で巨漢を横たえる女性たち(えりこさん曰く太ももが僕のウエストより太い)、5メートル先くらいで過呼吸か脱水になったのか、携帯のライトを照らし救急を求める声がメーデーとして伝播していく様子。どこか恐ろしい事態の到来を予期するような、夕立の前のカラスの鳴き声が聴こえるような非日常的な光景が脈絡なく広がる。

予想通り予定時刻を過ぎても現れないオーシャン、それに苛立つ群衆たち。また近くでメーデーの声。ステージ上を往来するスタッフの姿が一向に無くならないまま、定刻を1時間と少し過ぎたあとだと思う。いつの間に前にせり出できたLEDの画面に、高機能のカメラで撮られた映画、というよりコマーシャルのワンシーンのような質感の色彩が極端に抑えられた映像が映し出される。どこかステージ裏のようなインダストリアルで無機質な空間を整列し、無表情で行進する黒装束を纏った人々のシルエットが現れる。

フランク・オーシャンめ。やっぱり変わったことしてくるなぁ。彼のリアルタイムで生み出される感性に触れたことが嬉しくて目頭が熱くなる。世界のエンタテインメントのど真ん中がどこ吹く風。まるで彼のビジュアルアルバム「Endless」のワンシーンを切り取ったような映像が、痺れをとっくに切らした観客たちの眼前に延々と流れる。事前に制作した凝ったループ映像で出番までの時間を引き延ばすのか。と、この行進を5分ほど見守っていると青いダウンジャケットにフードをピッタリと被ったやや猫背気味の男性の姿が画面手前右に映る。黒装束の行進、無機質な名付けがたい空間にやたらと目立つ鮮やかな季節外れのダウンジャケットのブルー。顔は見えない、シルエットだって危うい。でも間違いない。これはフランク・オーシャンその人だ。このプレゼンスが彼なんだ。待ち望んでいたその姿に動悸が収まらない


そしてここで記憶が飛ぶ。がどこからともなく聞こえる気だるい旋律に乗って聞き覚えのあるメロディを歌うフランク・オーシャンの声。
『Novcane』だ。大衆が合唱する。なにせCoachellaと歌詞に出てくる。ああああああ、もうダメだ、涙が出てくる。
サビでBPMが倍テンになり、まるでドラムンベースの様相を帯びたビートに乗って聴こえる『Novacane』。始まった。そして終わった。自分の求めていたすべてがここにあった。あなたに会いに来たんだ。生きていてよかった。
白人のドラマーの姿が映し出される。夢見心地だ。黒装束の行進がバーティカルなビートをトランス状態に導く。フランクは何も焦らない。テンションが変わらない。すべての悲しみや苦しみを刻み込んだような陰りを帯びた横顔がふっと画面に大写しになって、流れていた映像がなんとすべてステージ上で行われていたものだということにこの時点で気がつく。なんということだ!表現の極北がここにあった。彼は、寡黙にも全てを緻密に表現しているんだ。繊細な自らを頑丈なトラスとフードを頭まですっぽりと被って守っているようだ。なぜかその出で立ちは映画「地獄の黙示録」のカーツ大佐を連想させた。

ドラマーはいつの間にかスティックをブラシに持ち帰りソフトなビートを刻む。キーボードの前に座ったフランクが独白のようにポツポツとリズミカルにライムをこぼす。正直、このときがこのセットの感動のピークだったと思う。涙が出る。あまりにも遠くて、あまりにも巨大な場所にぽつねんと放り込まれた(飛び込んだんだけど)ちっぽけな自分が受け取るオーシャンからの秘密のメッセージ。ワルツのビートに乗せて、わずかに開かれた口からこぼれ落ちるその声を一言も聞き逃したくない。最高の時間だった。

そして、イントロが流れた瞬間に思わず声が出た『Crack Rock』が聞こえた後に、新しいアレンジの『Godspeed』、『Bad Religion』、『Pink+White』、『White Ferrari』など、フランクの肉声で名曲を堪能する至福の時間。ブランクなんて微塵も感じさせない一糸乱れぬ表現力。心の琴線に最短距離で触れてくるヴォイス。




曲が終わり静寂を楽しむフランク。本当にここはラウドな音楽が支配するコーチェラのメインステージなのか?ようやく気まぐれに立ち上がった彼の姿を肉眼で認める。本当にその場所に実在したことに感涙を禁じえない。そして口を開き始める。とても気難しいようには見えないごく普通の青年(何故かいつまでも青年なんだ、フランクは)。MCの内容で理解できたのはコーチェラへの感謝。かつて兄弟と一緒にコーチェラに来てジョーストラマーやTravisを見たんだとか。そしていつしか感染病に怯えて足を運ばなくなったけどメモリアルなコンサートだったんだと。それから製作中のアルバムへの抽象的な言及。とりあえずすぐには出ないらしい。自分でも意外なほど冷静にそこまで言葉を聴き取る。

そして、自分が待ち望んでいた『Solo』が恐ろしくテンポアップした形でパフォームされ始める。美しい楽曲である。文句のつけようがない。
何十回も自分の心の奥底に触れてくれた楽曲が、何年もの時を経て今この広大な大地で、ささやき声のようなフランクの声ともに届けられる。これ以上何を求める。そのまま『Solo(Reprise)』が流れたあと、ややスピードアップして聴こえる『Channel』がそのまま流れる。

そして、アウトロとともにカオティックなトランスのサウンドになだれ込み、そのまま危うい足つきでフランクはステージを横切ってゆく。巨大パネルに移された映像は狭苦しいシネマスコープの単焦点画面のようでなんとも位置関係が把握しづらいのだが、どうやらステージ上から彼は去ったようだ。そしてその前から時折インサートされていた(本当にモンタージュの人だ)女性DJによるEDM的なパフォーマンスでアンダーワールドの『Born Slippy』などを交えながら爆音を垂れ流す。そして、フランクが去ったと思われるステージ袖に映る巨漢のセキュリティが踊り狂う姿が断続的に映し出されるなかなかぐちゃぐちゃな状況。そして、ファッションショーのメットガラでフランクが抱いていた緑色の赤ちゃんの人形を抱きかかえるドラマーの姿。それを受け取るフランクが現れる。会場が熱狂する。そんな狂乱が終わったあとに憎らしいほど愛らしい笑顔をたたえて、「This is pretty chaotic」とこぼす。彼はこの数年間で素晴らしいアーティストに出会ってきたが、自分の活動を通じて彼らにもスポットライトを当てたい、それは自分が配信しているHomer Radioなどでもやっていることなんだけど。そんなことをしたかった、とのこと。やっぱり発想がプリンス的なんだよな。自分が発信するものがすべて表現。それは他のアーティストの歌声でも、産物だとしても。


そして、またささやき声のようなアコースティックギターのストロークと共に歌われるのは『Self Control』。ああ、心の震えが止まらない。原曲より幾分低めの旋律で親密に、でも確かな輪郭で美しいセンテンスが紡がれていく。当然会場は合唱。彼の声を聞きたい思いと、ともに歌いたい思いが交差する。そんな夢見心地とともに演奏が終わると、またフランクは無音の中を立ち上がり、今度は”INNER CHILD”という電子文字とともに若いシンガーソングライターがブルースでピアノを弾き語る。驚くほど堂に入ったパフォーマンスだ。なかなか素晴らしい。1曲を演奏しおえるとまたフランクが現れ、「THIS IS MY INNER CHILD」と少年を紹介する(非常に多義的だ)。彼は言う「What’s up Choachella!」と。すごい肝っ玉だ。

そして、流れ始める『Nikes』のイントロで自分含む観客のボルテージは絶頂に。パッドを叩く寡黙なドラマー。ここは自分も存分に合唱させてもらう。フランクも心地よさそうに立ち上がりビートに乗る。
ああ最高だ!始まる。始まるんだ。長い長いオートチューンのバースを合唱とともに終えるとフランクが歌い始める…と、思いきや流れるは『Nights』のイントロ。これももちろん会場は大合唱。
フランクも機嫌良さそうに立ち上がりリップシンクする。動いているフランクを見ているだけで幸せな気持ちになる。手を右往左往させ歌う笑顔は忘れがたいものがある。そして、ずいぶん長く感じた『Nights』の演奏が終わり、常に歌唱は座って行っていたフランクはその定位置に戻る。今か今かと待つと、バンドマスターらしきギターを引きながら複雑なモジュールやキーボードを操る男性と耳打ちしながら言葉を交わすーこの男性とは演奏前後にこのように言葉を交わしており、それが独特の緊張感を湛えていた。そしてステージを去るフランク。数秒間の沈黙の後、そのバンドマスターらしき男性が言う。「He says this is the end of the show」ピリオド。

この瞬間、会場からはブーイングの嵐だったが、自分は驚くほど冷静に心のなかで拍手をしていた。ステージから引き返す人々。そしてBlondeのTシャツを着た青年たちの「He is not gonna back」という冷静な諦念。そして彼が去ったあともクールに映し出される映像が徐々にステディカムの青年の姿とともにフェードアウトしていく様子。そんな光景を眺めながらこう思った。ありがとう、フランクと。このステージは完璧なあなたの作品だった。またそんなふうに留保なく言える自分も好きだった。「One more song, One more song」と叫ぶ群衆の声。

まるで目覚めたときに涙がこぼれる胸が締め付けられる夢のようなセットだった。
ミステリアスで神秘的な暗号のような1時間は、しかし、これからの人生で忘れうることのできない甘美な傷跡を心に残してくれた。それは今まで見たどんな芸術体験でも得たことのない感覚だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?