新しい私なのぞよ(BFC3幻の2回戦作)

(noteテキスト版は下部)

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 一倉いちくらさんは魔法使いで、もう要らない魔法があるそうで。だったらあたしにちょうだい! 構わないわよ。それが事の顛末。カーテンを閉め切った放課後の視聴覚室は異世界みたいで、明りは僅かな夕陽だけ。一倉さんの瞳は濡れた光を蓄えていた。誰もが見惚れる一倉さん。モデルめいた長身、なめらかな黒い髪。壊れ物めいた白い肌、凛と引締まった美貌。かたやあたしは色黒のチンチクリンで、一倉さんと並ぶのも惨めたらしい。
彼女のものが、あたしは欲しかった。
「いいのぉ? そんな御大層なもんをさー、あたしなんかが気まぐれに貰って」
「あら、あなたは適任よ」あたしの軽口を一倉さんは封じた。額どうしが衝突しそうな距離。吐息まじりの言葉があたしを撫でた。「あなたはこの力を欲しがっていたわ。誰よりずっと」一倉さんの昏い瞳に吸い込まれそうで目を逸らす、一倉さんの頬火照ってる。産毛。湿った唇が「だってあなた」わたしの唇は乾燥していて。一倉さんの少し薄い綺麗な桜色の唇は「私のこと、いつも」柔らか「見てたもの」
あ。
……長かった。まだ変な感じがして、唇をおさえてる。それは気持ち的なこともだし、体が変わっちゃった感じもだし。
「これで終わりかしら。不思議な感じがするわね。……初めてだったから、かしら?」
 と、あたしが・・・・言った。
 一倉さんは苦笑した。肩にかかっていた黒髪が滑らかに胸へと流れた。
「無事にオラッチョの力を受け継いだようでヤンスね。二人だけの秘密ってことで、今後は仲良くしたいもんでヤンス。ヒョッヒョ」

 クラスメイトが変わっちまった。幼稚園から一緒の品崎朋絵。少年みたいな刈上げで化粧っけもなくて、ブレザーよりジャージが似合ってた。それが今では。
「ねえ、根岸君。ボールペンを借りてもよいかしら。インクが切れてしまったの」
 外見は変化なし。替えのインクを用意もしないガサツさも。だのに、ぐっとミステリアスになった。まるで一倉理華と入れ替わったみたいだ。いま一倉の座席には「一ノ倉」という力士が座っている。白いタオルを首にかけた汗みずくの力士は時おり点滅し、一倉の細身が写真の裏写りみたいに重なって浮かぶ。
親方おやかた、板書が三行、抜けているでごわす」
「おお、ありがとう一ノ倉関。助かるよ」
「ごっつぁんです」
 自分がどれだけ現金か分かる。俺は品﨑のことを盗み見る。ときめきを隠せない。

変わった。あたしは崇拝されている。言葉を紡ぐたび、あたしは「ミステリアス」なベールを纏う。これが一倉さんが使っていた魔法。一倉さんにかけられていた魔法。
 ひとつ力を捨てた一倉さんは、自由を謳歌していた。彼女は本物の魔法使いだから、言葉一つで姿すら変えられる。力士忍者博士。この日の一ノ倉理華ノ麿は、「まろは答えとうない、まろはやりとうない」の一点張りで全ての雑事を跳ね除けてみせた。
 放課後の視聴覚室が、あたしたちの秘密基地だ。魔女には棲家が必要だから。秘密をささやきあうための。
「おお、自分をなくすのは楽しいのう、朋絵」
 一倉さんは床に大の字になった。下の名前だ。臣下扱いかな。あたしも転げる。
「殿下は、ご自分を捨てすぎだと思いますが?」あたしは一倉さんの鋭い鼻梁と、流星のように形の良い眉を眺めた。口を開くと理華ノ麿の眉毛が太い円を描いた。
「一倉理華はもうおらぬ。いや昔からおらんかった。曰くありげな少女がおっただけのこと。それは、そちでもよいのじゃ」
「一杯食わされたわよ」あたしは唇を尖らせた。「今のところ、気分が良いわ。けれどもこの先、どうかしらね。憧れを受けるのは慣れてないわ」
「まろは耐えなんだ。そちは、魔法を欲しがっているように見えた。すまぬ」
「構わないわ。……気持ちが分かってあげられて、良かったと思ってる」
「ほんたうですか」一倉さんは、ばっと身を起こした。
「良かったでゲス。ホンマは心配しとったんや。身供が重荷を捨てただけ。汝は苦しんではおらぬかと。ボクの計算では九十九%ウィンウィンでしたが、わっちは安心でありんす。ウチらの仲だべ、これからも何かあったら遠慮なく言うんじゃぞ」
 愉快な慌てぶりだった。しわくちゃの若い手が肩を掴み、甲高い男の嬌声が轟いて、漆黒の白髪をさらさらと軋ませる。一倉さんは楽しい人。とても楽しい人。もう隣に並んでもあたしは惨めじゃない。彼女と一緒にいられる魔法を手に入れて、あたしはとても。

けれどもある朝の通学路、一倉さんの声が天から降ってきた。
「びびっばついに見つけルドチニチ。ほんとうのアロノラて見つけオアニ。身軽ノェロ」
 彼女は禁術に手を染めた。まだ誰も使ったのことのない真っさらの魔法、無二の魔法。こうなる予感はしてたから、大丈夫だった。
おめでとう。手に入れたね。
どのあたりにどんな姿でいるのかな。本当の自分になれたんだよね。
「やってやろうじゃないのよ」
あたしは歩きはじめる。大ぶりのガニ股で、ずんずんと。今日は学校をさぼる。彼女を探しに行く。どんな形でも分かってあげる。どう喋ろうが、あなたはあなただって言うよ。もっと早く言ってあげれば良かった。一倉理華。一倉理華。

〈了〉



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