でかい鳥（BFC3落選作）

　（以下、横書きテキスト）

　町内放送が流れた。近所の動物園からエミューが逃げ出したらしい。エミューといえば身の丈２メートル近い巨鳥で、飛行能力がない代わりに発達した脚部でもって猛然と駆ける。遭遇した日にはそれなりの危険もあるはずだが町内放送はべらぼうに呑気だった。上り調子にピンポンパンポン、『エミューが逃げましたので、よろしくお願いします』下り調子のピンポンパンポン。終わってしまった。吉村は直ちに役場の防災課に電話した。
「はい防災課の矢部でございます」
「丁度よかった、道の駅の吉村ですが」
「あー料理長。いつもごちそうさまです」
「いまの放送ですけど、エミューとは何で、何羽が逃げたか言ったほうがいいですよ」
「えっ言ってなかったですかあ。しまったなあ。すいません今日ね、ほぼ私しか居ないんですよ。忙しくってどうも」
　「ほぼ私」って何だろうか。絶妙に全貌が分からないのでモヤモヤした。説明が下手だった理由の説明も下手、といったような意思疎通の無間地獄は矢部との仕事において頻発する。ああいう人でも公務員なれちゃうなら俺も目指せば良かったかもしらんなあなどと気を散らしながらハンドルを切ると農道のちょっと先を凄まじくでかくそして首の長い鳥が横切っていったので吉村は「ギャーァ！」と雄叫びを上げその拍子に目を覚ましたのが助手席の堂園、こいつが「うわぁっカブトムシだぁ！」と甲高い悲鳴を上げたことで身内から予想外の驚きを喰わされた吉村が反射で急ブレーキ、クラクションをブッ叩いて田園地帯に高らかにパァー。ここまで四秒。
吉村は息を整えた。色々なことがあった。その全てにビックリした。一個一個処理しよう。「カブトムシってなに？」その順番でいいのか。
「カブ？」眉根を揉んだ堂園は間延びした声で「あー夢っす」とこぼした。他の様々も夢であったなら、どんなに良いことか。でかい鳥は散歩の長閑さで、休耕している田畑を渡っていく。縮尺からいって間違いなく逃げた鳥だ。
「エミューが逃げてんだって」吉村は堂園に告げた。
「あの猛毒の？」どのだよ。もういい仕方がない堂園に話しても。吉村は役場に発見の報を入れようとしたが、電話が繋がらなかった。もたつく合間に逃げられても困るので、とりあえず回り込んでエミューの進行方向に陣取ろうかとアクセルを踏んだ。向かいから事故車の亡霊みたいな軽トラがやってきた。相手方はバカに景気のいいクラクションをペペッと鳴らすと、磁石で吸いつくようにみっちりと横づけしてきた。手漕ぎの窓を開けて真黒に日焼けした顔を出したのは荒巻の爺さんだった。吉村も窓を開けた。この人もエミューを見たはずだ。連携して追い込みましょうと提案しかけたが荒巻は先んじて、
「キノコ要る？」
嘘みたいにいつも通りなので「いや荒巻さんでかい鳥」と吉村はエミューを指差すのだが「キノコか熊の糞か分かんなくて取り敢えず拾ったのよ！」確かにこういう人なのだ全く話を聞かないし何でもかんでも拾うのだ糞かもしれないもの拾うな。
「でっかい鳥が逃げてるんだよ！」
　吉村が大声を上げてようやく荒巻も畑に目をくれたが、次の瞬間なぜか激昂した。
「あんな馬鹿でかい鳥が居るかボケ！　鳥じゃなくてコンドルだよあれは！」
「コンドルも鳥だよ！」
　後から分かったが荒巻は全ての鳥を区別せず「鳥」とだけ呼んでおりトンビよりでかい鳥の存在も信じなかった。その世界観に吉村は戦慄するのだが後の話なので今に戻ると荒巻の懐は確かに臭かった便槽としかいいようがなかった。車越しですら勘弁して欲しいのに何を思ったか荒巻は身を乗り出すと、ところてんのように吉村の軽トラに侵入してきた。覆いかぶさってきた肉体は生温かく、吉村は小さな悲鳴を上げた。荒巻はそんなこと意にも介さず身体の七割がたを滑り込ませ、
「取って取って」
と指示する。助手席の堂園は言われるがまま老人の懐からズタボロのローソンのレジ袋を引っ張り出すと中を開いて「うーわ臭いなぁフフッ」なんで嬉しそうなんだお前ふざけんじゃないよ。
「吉村さんマジで臭いっすよこれ。何すかね」
　頼んでもいないのに堂園は袋の口を吉村へ向けてきた。昏い紫色をした球体が水饅頭のように震えていた。
「持ち運び式の肥溜めだよこんなの！」
　混乱して変なことを言っているのは自分でも分かった。
「そんなん運ばんわボケ！」
　しかし荒巻から真っ当な指摘を受けると滅茶苦茶に腹が立つのだった。
「これ未確認生物じゃないすか。役場に持っていきましょうよ」と堂園。
「ナイスアイデアー。新種の毒キノコだったら困るわ」
　荒巻はついに全身をこちらへ流しこむと、堂園が膝を抱えて座席で丸まったので、空いた足元にうずくまった。
「なんでこっち来んの荒巻さん」そしてもう口に出すのも間に合わないのだが何でそんな連携がいいの二人は。
「車が臭いんだよ」
「俺の車もそうなるんだよ……」
　万遍なく、どうでもよくなってしまった。吉村は役場へ向かうことにした。車は臭く、同乗者も臭かった。気が散るなと思った。細い小径が続くので、舗装路に出るまでは注意が必要だと考えた。吉村はフロントガラスに開ける農道にのみ集中した。
何かを意識的に忘れようとしていた。それが何なのか、本当はバッチリ思い出すことができるのだが。