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万能じゃなくていい

※今日の話は、家族を否定するために書いたものではありません。
すでに昇華出来たからこそ書けるものとして読んでください。
ご縁に感謝します。※


家の近くを保育園児たちが散歩する。
自動販売機の前でジュースを見て
これがいい、あれがいいとおしゃべりするその姿がかわいくて癒される。

私の育児。。。
私の子育ては、上手ではなかった。
上手というと語弊があるだろうけど
心の中の愛情をうまく伝えて表現することが下手だった。
大きくなった子どもを見ては、時々、赤ちゃんのころのほっぺたをもっとムニムニーとして、好き好きと抱きしめればよかったと思う。

赤ちゃん大好きな私は、いい母親になれるような気がしていた。そうなりたかった。
現実は違った。
疲れ果てたし、余裕もないし。
離婚後は実家に身を寄せるも、針のむしろ。
愛情もかけてはくれる。
しかし、家族関係が歪で、弱者と犠牲者がいて成り立つのだ。
「どうしたら認めてもらえるか。」
子どもの時のご機嫌伺いが、母親になった私にもまだこびり付いていた。
私は、実母の機嫌を取るために、娘を怒鳴りつけたこともある。
私の心を痛めつけるために、実母が娘を怒鳴りつける日々もあった。
疲れ果てた。。。
娘を大事にすると、わざと意地悪をする実母。
可愛くてたまらない自分の娘を存分にかわいがりたかった。
そんな折、母が寵愛する兄が帰ってくるという。地獄の始まりだ。
このままでは私も子どもも心が死んでしまう。
借金をして急ぎ家を出た。
その後の育児に、実家家族も関わり助けてくれるときもあった。
仕事、家事、育児と、ひとりでは出来ない子育てを助けてもらった。感謝もしている。
しかし、
面倒を見た=対価を寄こせ なのだ。
そんな余裕はない。でも子どもの安全には変えられない。
学童も入れている。しかし、病気になれば預け先もない。(病児保育はなかった)
仕事、育児。。。覚悟もしてる、親としての責任もある。もういっぱいいっぱいだった。
甘えと分かった上で、それでも言いたかった。
「無償で助けてほしい」と。
心の底から頼っていい、甘えていい無償の場所がほしかった。
成人した大人、みっともないと(そう思っていた)
口にはしないけれど、腹に抱えた自分のなかのその幼さを解かしていくのは、随分と時間が必要だった。

子どもと2人の生活はいろいろ大変なことも多いが、子育てをやり直すチャンスが来たと思った。
これまで以上に抱っこした。
頭をなでた。
膝にのせてご飯も食べさせた。
たくさんの絵本を読み聞かせ、時には創作話も披露した。
手を繋いで散歩やお出かけをした。
公園でピクニックもした。
プチ旅行もした。
学校行事は参加した。
怒り癖のついた私は、子どもへの注意は10回までは同じことでも冷静に伝える訓練もした。

娘が難病を発症。実母に「ちゃんと子育てしてなかったんだね」と吐き捨てられた。だから娘は病気になったと。
自分を責めた。可哀想で変わってやりたかった。
どんなことでも出来ることはした。
何度も再発し、入院もした。
その度に娘と私の絆は強くなった。
互いに寄り添って生きてきた。
助けているようで、娘に助けられている。
今でも治療しているけど、2人とももう泣かない。
私は強さが少しなくなっているけれど
今からきっとまた強くなる。復活出来る。
私は母になれて幸せだ。

育児は親育て と誰かが言っていたけれど
ホントにその通りだと思う。
娘を子育てしながら、母としての成長、また自分の中の小さな自分も育てつつ、
実母と私の学び、母娘の子育ての残りが出来たと感謝もしている。
私も、実母も完璧じゃない。
それでいい。
完璧じゃなくていいんだって。
そんな私を私が許可すると、母のことも感謝に変わる。
やっと、やっと。。。

~少し昔のわたしへ~
みんなそれぞれ事情がある。
同じ家族で育っても同じ人間は2人といないし、別のもの。
個性がある。各々の居場所がある。
性格も違うし、価値観も違っていい。
見てる世界も違う。
大切なことも違う。
強さも弱さもある。
誰かと並んで、比べて、ダメなんて思わなくてもいい。
弱くていい。違っていい。
他人様に助けてもらっていい。
人間を信じていい。
仕事、子育て、家事、実家の役割、参加してるコミュニティ。。。全部やり切らなくていい。
あなたは、ありのままで100点なんだって。
万能じゃなくていいんだよ。

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