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尿道カテーテルを自分に入れたら尿道裂けた


宇宙で最も力強いのは幅広い興味である
アルベルト・アインシュタイン


ある日私は思った。
トイレにいくのめんどくさいな、と。

そして思った。
尿道にカテーテル入れればトイレいかなくてすむんじゃん?と

更に思った。
やってみよう、と

そして入れてみた。
尿道が裂けた。
今まっすぐ歩けない。
排尿をする度にバーナーで焼かれた様な痛みがする。
これを地獄と呼ばずになんというのか
これは尿道カテーテルを入れてみた人間から全人類に向ける警鐘である。
尿道で遊ぶのはやめろ、と

そもそも私が自分の人生において尿道を裂いたのはこれで2度目である。
なぜ懲りずに同じ過ちを繰り返したのか。
つくづく人間は愚かな生き物である。

月日が立つと共に私は忘れていた。
尿道が引き裂かれる痛みを。

そして私はもう一度思い出した。その痛みを。
この記事は全人類への警鐘と共に、未来の自分に対する備忘録である。
同じ愚かな過ちを繰り返さないよう、この痛みを決して忘れる事の無いようこの記録を記す。

1度目は学生時代の時である。
泌尿器の実習を控えていた私の興味は当然、尿道、とりわけ医療現場でも目にすることの多い尿道カテーテルに注がれていた。
当時極度の頻尿に悩まされていた私にとって、いちいちトイレに行かなくても済むソレは福音に思えた。これで上手くいったら国家試験当日もバルーン装着で行こうと思ったほどだ。長距離運転もこれで怖くない。

便利なものでAmazonで探せば大抵のものは見つかるものである。
尿道カテーテルとて例外ではない。
早速私はネットでカテーテルを注文した。
だがその時私は知らなかった。尿道カテーテルにも色々種類があるのだ。
自分にあったものを選ぶ必要がある。

尿道カテーテルにはFr(フレンチ)というナゾの単位が使われている。
医学以外で私はこの単位を見たことがない。直径を表すナゾの単位である。
似たような単位で注射針の太さを表すG(ゲージ)があるが、こちらは数字が小さくなればなるほど太くなるという仕様で紛らわしい。

とにもかくにも当時の私はG(ゲージ)のイメージで全ての単位を覚えていたので、Frも数字が大きくなれば細くなるものと思っていた。
そうして私が選択した尿道カテーテルは22Frのものであった。

実際当時購入したもの
デカすぎる。



今ならわかるが、22Frを初見で選択するなど自殺行為に等しい。
輪ゴムでバンジーを飛ぶくらい
愚かな行為である。
一般的な尿道カテーテルのサイズは14Fr、太くても16Frくらいである。
22Frは丸亀製麺くらいの太さがある。

想像してもらえたらいかにそれがイカれているかわかると思う。
丸亀製麺が自分の尿道に入るか????
当時私は本気でそれが入ると思っていた。
それが標準サイズだと思っていたからである。

届いて実物を見た時は息を呑んだ。
みんなこんなものを入れているのか、、、???
入れている訳がない。
しかし当時の私は思った。
みんなできているんだから自分もできるはず、と。

とにもかくにもこれでトイレに行く手間から解放されるなら安いものだ。
早速試してみる事にした。
が、入らない。潤滑油が足りないのかと思ったが、なんかそういう次元じゃない気がする。そもそもカテーテル自体が私の陰茎の半分くらいの太さがあるのだ。こんなものどうやって入れればいいのだ??

角度を変えたり、ローションを追加したり試行錯誤を繰り返すがうまくいかない。というか痛い。入口部分ですでに大激痛である。これ以上進める気がしない。が、いつまでも入り口付近で躊躇っている場合ではない。それにこういうものは入口さえ通ってしまえば後はスムーズに入るもの、そう思った。そうして、かなり力を込めて押し込んだ。その瞬間だった。

尿道口から鮮血が噴き出した。

その後血まみれになりトイレでうずくまる私を心配して、妻が救急車を呼ぼうとしたが、それは全力で阻止した。
一体何をしてこうなったと説明すればいいのか。
ましてや自分の通っている大学病院に運ばれようものなら残りの学生生活は地獄である。

とにかく心配する妻をよそに、痛みに耐え、暫くすると出血は無事収まった。
が、本当の地獄はここからであった。

今思い出すだけで股が締め付けられる思いがする。
というか現に今同じ状態にある中では笑えたもんじゃない。
誰かこの痛みをなんとかしてくれ。

当たり前の話だが、人間が尿を出す場所は一か所しかない。
つまりそこに何が起ころうともそこを通るしかない。
たとえそこが肉が割け、血が滴る尿道であっても。

時間と共に自然な欲求により排尿感を抱いた私に大きな不安が押し寄せた。
今尿をしたらどうなるんだ????

答え

地獄


これはもう形容しがたい痛みである。
地獄としか言いようがない。
冒頭でバーナーで焼かれる痛みと述べたが、尿道が糸鋸で引き裂かれる感覚といってもいい。いずれも地獄である。
そして想像してみてほしい。
それが必ず1日数回訪れるのである。

真綿で首を絞められる感覚とはまさにこの事である。
時間と共に感じる。膀胱の中に尿が溜まっていくのが。
そしてやがて訪れる地獄への入り口が近づいてくるのを感じるのである。
お腹から膀胱に穴をあけてそこから尿を出そうか、と一旦真剣に考えるレベルである。

どれだけ水分の摂取を控え、そしてどれだけ運動をして全身の汗を流そうとも、体の老廃物を外へ排除するという体の働きからは逃れられない。
そしてどんなに嘆いても一度膀胱に溜まった尿はまた体に戻る事はない。
天に祈ろうとも、自らの体を呪おうとも、尿道を通って尿が出るという節理からは人は逃れられないのである。そしてそれは地獄であった。

結局完全に痛みがなくなるまで1週間ほどかかった様に思う。
それまで最初の数日間は、トイレに入る度に心頭滅却し、念仏を唱え、十字を切り、精神を統一したのち、排尿に臨む状態であった。

そして
人は忘れるものである。

過去の痛みを。

なぜ同じ過ちを繰り返したのか????
昨日の自分に真剣に問いかけたい。

私はお前のせいでトイレに行きたくても行けない体になった。

昨日の経緯については大部分を割愛するが
医師として働き始め、数年経つことでなぜか
リベンジできると思ってしまった。
そしてその時の私は完全に過去の痛みを忘れていた。
排尿の度に悶え苦しんでいた記憶を。

今回は前回の経験を踏まえ、ちゃんと小さいサイズのものを選び
結論からいって挿入自体も問題なくできたのだが。
何を思ったか、この状態で排尿したらどうなるんだ???
という呪われた考えが頭を過ったのが運命の分かれ道だった。

昨日使ったカテーテルは単に尿道に挿入するだけの機能しかなく
本来の尿道カテーテルの様に中が空洞になっている訳ではない。
従って尿道に挿入されたカテーテルは尿道を封鎖する役割しか持たず
その状態で排尿をした事で、行き場を失った尿は容赦なく私の尿道を切り裂いた。

そして今、私は過去の記憶を思い出している。
かつての痛みを。

そして今私は未来の私と、世界のどこかにいる私の後を継ぎし者に向けて綴っている。

尿道で遊ぶのはやめろ。

好奇心には道徳がないのである。もしかするとそれは人間のもちうるもっとも不徳な欲望かもしれない。 三島由紀夫

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