カタカムナの奇跡でサイアクな彼氏と別れた話ー2・心が救われた実家帰省

交通機関の繋がりが悪く、帰り着くまで普段の倍近くかかりましたが、実家近くの最寄り駅に到着しました。もはや日付が変わるくらいの、深夜とも言える時間。
うわぁ、いくらなんでも遅くなりすぎた…
そう思いながら改札をくぐると、腕組みして仁王立ちの、初老の男性。
この方も誰かの帰りを待っているのかなぁと見ていたら、こちらに気付き声をかけてきた。
初老男性「おう、帰ったか」
うちの父親だった。ええ!?知ってる父より10歳は老け込んで見える…!

車に乗り込むなり
「お前なぁ…こんな急に帰るとか言いだすなよ。こっちにも心づもりとか寝床の確保とかあるんだから、連絡入れるならせめて1週間前とかさ…」
と、愚痴じみた呆れ声に叱咤された。しかし言葉とは裏腹に、その響きはすごく優しかったので、空っぽになった心がやんわりほぐされて、安心したのを覚えている。
「うん、ごめんごめん」
声はすこししゃがれたし、白髪は増えたし、眉間のしわもより一層深くなっているけれど、久しぶりに対面した父は、やはり父だった。

軽く事情を説明すると、おお、そりゃ良かったと、完全に私の味方をしてくれた。
父「数年前に、チェーンレストランで一緒に食事した時に、あの男しれっと2人前の料理を頼んでデザートまでつけてたろ。で、会計の時「ワシが払うわ」とは、そら言うた。言うたけど「あっす〜、ゴチになります」は  無  い  。
ポーズだけでも「いえいえ、そんな!出しますよ〜」くらい言えんのかと。だからワシは、もうその時から疑いは持ってた。今回のこと聞いてソイツの素性が、よぉく分かった。別れて正解だ、そんなクソ男」と。
さすが人生の先輩。彼奴の軽薄さを見抜いていたらしい。
とてもとても心強く嬉しく思ったよ、ありがとうお父さん。

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ひさびさの自宅である。上記したファミレスの時に、ちらりと寄ってそれからは帰ってなかった自宅。
「急で時間なかったから、掃除はできてないぞ、我慢せぇ」
「いいよいいよ、寝られればそれで」

がちゃりと玄関があいて。当然ながら懐かしの間取り。
帰ってきたんだなぁの感慨が胸を満たしていく。

「風呂は沸いてるから勝手に入れ。ワシは寝る。布団は仏間に敷いてある」
「うん。ありがとう」

荷物を置きに仏間へ入ると、さまざまなものが目に飛び込んできた。
大小さまざまな大きさの漫画本、プラモデルの箱、組み立てた墨入れや研磨や塗装が済んだプラモデル完成品が収められたケース、全百数巻で構成されているパーツがちょぴっとずつ入ったマガジン雑誌…。
家族の大好きなものが、そこには数多く置いてあった。

この時の私の感動を、どんな言葉で装飾すればいいだろう。
嬉しい気持ちがこみ上げて、泣きそうになってしまった。いや、実際に視界が揺らいで、ほほが熱くなり、喉から搾り出すように「ああ…」と唸った。

私が逃げてきたあの部屋は、無駄が何一つない、からっぽの、文字通りからっぽの、私がいない、私が否定された部屋。
昨今、「断捨離(だんじゃり)」が浸透しているものの、その根本の考え方やあり方が歪んでしまっているように思えてならない。
あれは「モノへの執着を捨て、己を見つめなおす」ことで、元々はヨガ哲学の中での用語。仏教でも使用されています。
物を捨てる口実に使ってほしくない。SMSでも時折目にすることがあるが、「パートナーの趣味のものを捨てるor捨てさせる、売りに出して臨時収入GET!」との記事を見てると気分が悪くなってしまう。断捨離のあり方はそうじゃないんです。


以下、ちょっとスピリチュアルも
織り交ぜながら話させてください。
私たちというのは、元々は「光の存在」で、
ここ(地球などの物質世界)ではない
別の場所にいて、肉体を持っていませんでした。
でも、「私の存在をレベルアップさせたい」と、
物質世界に修行にくるんです。
この物質世界に降りてくるにあたり、
申請を出すのですが、
もちろん全部が通るわけではありません。
どんな人生にしたいか、
どんなイベントをおこして、
どんな考え方を得たいのか、
という「運命の書」を、
生まれてくる時に作成しておくんです。
(比喩であり、本という実物があるわけではない)
それで、許可がおり、
我々は「生命」として誕生してきます。

だからね、
この世で得られる物質的なモノというのは、
本来あなたがいた光の世界にはなかった物であり、
この世界でしか使うことができません。
物を捨てることで、
自分の本来の姿・根源だった光を
思い出しましょう。
あなたの根源の願いは、
物によっては満たされないんですよ。
生まれた時に持った「運命の書」
書いてあった、精神的に得て、
レベルアップできる要素を思い出しましょう。
…その方法論として、
モノへの執着をなくすために、
モノを捨てる。
それが「断捨離」なんです。

分かりづらかったなら、俗的に表現します。
あなたはRPGプレイヤーです。
「この世界に生まれたい!冒険したい!」
と、ゲームを選んで、
ハードにセットし起動して、
アバターを作って、
その世界を自由に冒険します。
プレイヤーたるあなたと、ゲームの中のあなたは、
プレイしている時は「自分自身」ですが、
客観的には「別物」です。
魔物を倒して経験値を得ます。
レベルアップします。
強い武器を手に入れたり、
レアな宝物を見つけたり、
世界の隅々まで無駄に足を運んだり、
強い必殺技や魔法を習得したり、
ラスボスを倒すために必要な仲間を集めたり作ったり。
なかには、お金稼ぎに夢中になって、
ゲーム内カジノに入り浸って、
稼げなかったらリセットしてやり直し
…なんて遊び方もあるでしょうか。
ビアンカ、フローラ、デボラ、
一緒に旅する奥さんとして究極の三択を
迫られる直前でセーブし、
分岐したそれぞれの嫁ちゃんと旅する
…なんて遊び方もあるでしょう。

でもね。そのゲームの電源を切って
現実にいつかは戻るでしょう?
その時に、「プレイした感想や体験」は
自分のなかに残ります。
でも、「ゲームの中で得たすごい魔法や装備、お金や仲間」といった、
その世界の「物質」は、持ってこれないんです。
(遊んでポイントを貯めて、
現金やPAYにできるスマホゲームも
ありますが、大抵が詐欺だったりします)

この世界も実は一緒で、
わたしという肉体が終わったら、
元の光の世界・精神世界に帰るんです。
こういう人生だった、
こういう精神的なモノを得た、
という経験は持っていけても、
最愛の恋人、最高の家族、
溜め込んだ財産…。
そういった物質的なものは、
この世界に生きている人のもので、
元の世界には逆立ちしても、持って行けないんです。

そして、ゲームに例えての説明の冒頭で書きましたね。
「あなたは、この世界を選んで」生まれてきてるんです。
この時代、この場所、この環境、この家族の元へ、
自らすすんで
「ここでなら最高の人生を体験できる!」と、
あなたは選んでやってきているのです。

世の人がやっている断捨離は、
特にパートナーの荷物整理をすることっていうのは
侵害行為なんです。
モノを溜め込む人は、
そのモノ自体ではない部分に救われています。
モノの元になった作品やテーマ、声や音楽、
外からは見えづらいものに
「救われた」経験をもっています。
偶像崇拝と一緒なんです。
自分を救ってくれた神の像、
それがいわゆるコレクターが溜め込んだ「モノ」であり、
自分の根幹を支えてくれる大切な大切なモノなんです。
パートナーの私物を整理と称して捨てる行為というのは、
その人の信仰を否定する行為とおんなじなんですよ。


だから私も、とても傷つきました。
私の私物、私が必死に勉強したノートも本も、漫画も、絵を描く道具も、元彼の信仰(あったのかどうかは知りませんが)には不要だった。
でも、私には必要でした。

…だからこそ、モノで、家族の好きなモノがある部屋が、その宝箱みたいな部屋が、空っぽにされて傷ついた私を歓迎してくれているように感じて。
私の存在を肯定してくれているようで、とても嬉しくて、ものすごーく救われたんです。
なんかもう、これだけでも、帰ってきて良かったなぁ!と心の底から思えた。親世代からの根っこからのオタクで良かった、ほんとうに良かった。本当に嬉しかった。本当に救われた。
片付いてない?とんでもない。この状態で私を迎え入れてくれて、本当にありがとう。しょんぼりしていた心には最高の薬だ!心の底からそう思えた。

せっかくなのでシャワーをいただいて、実家の湯船に浸かった。
ワンルームの狭ーい風呂はとても足を伸ばせる代物ではないが、実家のこの風呂は存分に足を伸ばせられた。旅の疲れが、じんわりとほぐされていく。

その晩は、なかなか寝付けなかった。
とても、とても静かだ。木々が揺れる自然音、どこかで鳴くカエルの声。それだけならまだ良い。
でも、時折聞こえる小型バイクの音が聞こえるたびに、身体が縮み上がった。
部屋に置いてきた、元彼(あえて、元彼と表記させてもらう)は、小型バイクを持っていた。もう何年も給油していないし免許も自賠責もない、銭も持ってないはずで、来れるわけはない。
絶対に来れるわけ無いとは思いながら、エンジン音や走り去るブロロロ…という音にさえ、敏感に反応してしまう。
更に眠気もこない。

SNSを見たり、ウニ割り動画を見たりして、気を紛らわせていく。
そうやって過ごすうちに流石に限界が来たのか、いつの間にか、意識を手放し眠ってしまった。

スイチャンネルさんによるウニ割り動画。
心が乱れてる時に、ASMR的に音だけ聞いていると、少しずつ心がおちついてくるのでオススメです。
解説が文字だけなのもイイ感じ。


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振り返ってみて。
体感として、長い、本当に長い1日でした。
元彼と警察の会話は本当に詳しくは聞いてなかったのですが、彼から発せられる言葉のなかには、私への謝罪は一切出てこなかったです。
警察にはすみませんと言っていましたが、当事者の私に対しては、本当に一言も。なにもなかった。連絡先だけは聞いてきた。
そもそも自分が悪くて引き起こされたことだと微塵も思ってなさそうです。


趣味の話を振ったこともあるんですよ。一緒にやってみようよとか誘ったこともありました。
同じ映画を見て、楽しかった感想を言いあうことも好きな私だったので、それも呼びかけてみました。
が。
「くだらん」「つまらない」と一蹴されたことはもう数知れず。
その割りに、「自分が好きなものは本物だから」と映画作品やアニメ作品は共有しようとする。
本物もなにも、世にある創作物の全ては虚構のつくりもの。
真実をしっかり植えている作品も、もちろんあります。
「これはいいものだ!」と受信するための受け皿は、各々違うんですけどね。

元彼は、自分しか見えてなかったんでしょうね。自分に都合がよければ、私が傷ついたって苦しくったって、どうでもよかったんですよ。だって自分にその痛みは分からないから。どうせ他人だから。
私の心地よさとかもどうでもよかったんです。
だってその心地よさは自分のそれとは違うから。俺が苦しくて辛いのになんで目の前で笑ってるの、なんで勝手に喜んでるの、なんで、なんで。

心を通わせることができないパートナーとは、離れたほうがいい。共有できないのならせめて、「触れない」線引きを守ってくれる人を探しましょう。
ここを読んでくれている貴方は、同じような苦しみを抱えていると思います。どうにかしたい、でもどうにもならない。だれか助けて!!と叫んでいるかもしれません。

実をいうと、この事件が起きる直前、私はカタカムナ解説をしている人に、メールで連絡を取ったのです。詳細はこちらの記事に載っています(ものぐさ)。

わたし、この時既にちょっと考えてしまったんです。
「カタカムナで私が変わって、それに気付いた彼が興味を持って、そうしたら二人でカタカムナを唱えて、二人で幸せになる」という解決方法があるんじゃないか!?と。

悲願だった「彼との別れ」を「彼と幸せになる」の願いにすり変えたんです。メールを受け取った人も困惑したでしょう。幸せの法則に程遠いこの勘違いの意見を。
でも、不思議なことに、何ヶ月も神頼みして、まじめにお願いしていた時期はちっとも動かなかったのに、その願いに乗り換えた途端。
(メール送信時点が2024年5月1日)

5月4日に事件が起きて、解決してしまった!

本当に、ほんとうに長いこと考え続けて、考え抜いて、神頼みしていた願いを、キラキラ勘違いな願いに乗り換えて三日後には、別れのキッカケになる事件が起きてしまった。なぜか、執着を手放したら叶ってしまったんです。
今では、このトンチキ発想に感謝しています。別れられた今、私はすごく平穏な日常を送っています。

同じような悩みを持つ人の旗印になれますように。
2024.0509


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