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字が汚いことの憂鬱。



字が汚いので、自分が書いたものを見返すたびに少し憂鬱な気分になる。


最近、資格試験の勉強をしていて、学生時代よろしくノートを書いていたのだけれど、書いても書いても不格好な字が量産されていくだけであった。
そもそも鉛筆の持ち方が間違っているので、この機会に矯正できないかと思い、文具店で指にはさむ器具を購入してみた。矯正のための器具を使用してみると、自分の持ち方がいかに間違っていたのかがよく分かる。
よく、正しい持ち方をすれば、力をいれずともきれいに文字が書けると聞く。けれども長年に渡り間違った持ち方をしていた私は、器具を使っても指に力が入ってしまうし、持ち方が正しくなったところで字が整うはずもなかった。


ペンを持つと、とても不自由になる。自分の思い通りにその筆先が動かせない。自分が思う線が書けない。書きたかった長さにならない。止めたいところで上手く止められない。繋げたくもないところが繋がってしまう。そして出来上がったものを見て落胆する。


自分の身体の一部なのに、なんて不自由なんだろうと思う。


字には性格が出るとか、その人を表すとよく言う。自分の字を見るたびに、粗雑な性格だと突きつけられている気分になる。大袈裟だとは思うけれど、あなたの心のかたちはこう、と言われているような。
整っていたり、きれいだったり、あるいは可愛らしかったり、そういう字が書きたかった。それは、丁寧だったり、品があったり、愛嬌のある人格への羨望かも知れない。事実、きれいな字が書ける人のことを半ば恨んですらいる。

しかし、四半世紀をゆうに超えてなお、私の字はきれいではない。いい加減で、稚拙で、なんだか思いやりがないような、そんな私の人柄を、私の字はよく表わしている。

私が書きたいのはこんな字じゃないのに。私がありたいのはこんな姿じゃないのに、と思いながら。今日も字を綴っている。


資格試験の勉強は、極力ノートを書かない方針にしてしまったけれど、矯正器具は使い続けている。自分の性格を矯正したい訳じゃないけれど、字も自分も、もう少し好きになれたらいいと思う。

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