森田芳光全映画フルマラソン⑤:「家族ゲーム」──過渡期についての観察劇、そして松田優作。
ロマンポルノ二作を監督し、カメラの動かし方、セットの使い方など職業監督としての技術を習得した森田芳光。その次に控えていた本間洋平による同名小説の映画化「家族ゲーム」は、「の・ようなもの」から続いていた明るく牧歌的な青春映画路線とは異なる、時代の変容を独特のタッチで表現した気味の悪いホームドラマを完成させ、80年代を代表する日本映画の名作となった。
あらすじ
中学3年生の沼田茂之(宮川一朗太)は高校受験を控えているが、受験勉強への熱意はなく、何人も家庭教師が辞めてきた"問題児"。優秀な長男慎一(辻田順一)とは様子が違う次男に、父孝助(伊丹十三)も母千賀子(由紀さおり)もやきもき。そんな中、新しく雇われた家庭教師吉本(松田優作)は、孝助から個人的な謝礼を約束され、茂之に対してスパルタ式の教育を始める。茂之は徐々に成績を伸ばし始めるが……。
第57回キネマ旬報ベスト・テンでの日本映画第1位を始め、毎日映画コンクール、報知映画賞、ヨコハマ映画祭など数々の映画祭で高い評価を受けた他、ニューヨークの映画祭上映後、『ニューヨーク・タイムズ』紙に絶賛され、アメリカでも上映された。
居心地の悪い"距離感"
「森田芳光全映画(宇多丸 三沢和子)」に収録されている石飛徳樹氏のコラム「森田芳光の映画とソーシャルディスタンス」は、森田芳光作品に登場する人物たちの一定の距離を置いた関係性に注目した面白い論考で、「家族ゲーム」についての言及もある。
確かに、「家族ゲーム」は社会の変化の中でお互いの距離の歪んだ取り方についての映画だ。それぞれがそれぞれに対して何か思うところはあるが、直接的にそれを言及することは出来ない。吉本や千賀子を通してしか子供たちの様子を知ることが出来ない父孝助や、受験先の変更をしたかを茂之に訪ねられない千賀子などがその最たる例だ。
そこには、孝助が言及する、予備校生が両親を金属バットで殴り殺した「神奈川金属バット殺人事件」の余波も感じられる。個人間の距離が離れそれぞれが個人の感情の爆発を恐れてまた更に……という循環は、むしろ2022年の現在の方がより身近なものになっていると思う。
ただ、「家族ゲーム」からこの一家、また日本社会を強く批判するというような意図は感じにくい。石飛氏は本作をこう評する。
この微妙な距離感を保つ一家の中に投げ込まれたサークルクラッシャー、それが松田優作演じる傍若無人な家庭教師吉本だ。石飛氏も書いているが、吉本は沼田一家とは対照的に、距離感という感覚がないような人物で、頬にキスさえしてしまうような異常に近い距離で接すれば、異様につっけんどんな態度の時もある。松田優作の大きな図体や「探偵物語」でも感じられたユーモアの中に底知れない凄みを感じさせる話し方が、吉本というミステリアスなキャラクターを更に謎めいた存在にしている。
その吉本が、家族の間にピリピリと張っていた緊張状態を一気に壊してしまう(比喩ではなくマジで)クライマックスの凶行は、祝いの食卓でわざわざ家父長的な振る舞いを演じてみせる孝助や彼をなだめることしか出来ない千賀子、彼らに中途半端な反抗しかしない茂之と慎一と、"新しいディスタンス"への態度を決めかねている一家に業を煮やした結果とも思えた。
もしも松田が もしも森田が
松田優作と森田芳光は非常に相性が良かったと、森田芳光公私のパートナー三沢和子は「森田芳光全映画」の中で語っている。
2人は「家族ゲーム」撮影前のミーティングで、意気投合。松田は「家族ゲーム」の脚本を絶賛し、2人でマイルス・デイヴィス、イングマール・ベルイマン、ルイス・ブニュエル等、共通の話題で盛り上がった。森田にとってもまた、自分の感性をここまで共有し理解してくれる俳優は松田優作以外にいなかったらしい。
「家族ゲーム」後は夏目漱石原作「それから」で再びタッグを組み、またも非常に高い評価を得る。"4年ごとに一緒に映画を作り、黒澤明・三船敏郎コンビを越える存在になろう"と約束を交わす程の強い絆が生まれたが、89年、膀胱がんで松田優作は帰らぬ人となる。このことは、森田芳光にとって非常に大きな喪失だったという。
歴史に"If"はない、とは言うものの、一映画好きとしては、どうしても「もし、松田優作が生きていたら『それから』以後の作品はどうなっていただろう?」「『ブラック・レイン』後のハリウッドでどんな活躍をしていただろう?」そして、「もし、2人が本当に4年ごとに作品を発表し続けていたら、日本映画史、そして映画史全体はどうなっていただろう?」と夢想せざるを得ない。
次の作品は、森田芳光屈指のカルト作品として知られる「ときめきに死す」です。
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