みんな違うからおもしろい
価値観の違い。
の意味が分かるようになったのは、ここ数年。
わたしの場合は、コロナがきっかけでした。
もともと風邪をひいててもマスクつけるのが苦手でした。
なんだか精神的に『かぜひいてます!』という感じになっちゃって、たいした風邪じゃないのに、ますますひどくなる感じがしちゃって。
最初はマスクしてないと死ぬのかと思ってたから必ずマスクつけて過ごしていたけど、
いっときすると色んな情報が出回り始めて。
コロナ禍後半は、ちょっぴり社会に抗うようにマスクはつけない選択をしたりなんかしちゃって。
だいたい、人と同じことするのが苦手な性分も相まって、家族にはすごい嫌がられたけど、息しづらい方がもっと嫌で、、、。
妊婦だったし、ちゃんと呼吸したかったから、、、。
そんな時に、
マスクをつけてない人と自分はきっと同じ価値観なのだろう。
と思い始めた。
マスクしてない人を目印に、話しかけたら気が合うんじゃないかな?と思ったりもした。
でも、そういうわけじゃなかった。
マスクしてない人でも、よくよく話してみると、なんかちょっと違うぞ?と感じたり、
逆にマスクしてるから表情は全然分からないんだけど、話しているうにに、めちゃくちゃ意気投合したり。
要は、相手が自分を理解しようとしてくれているかどうか。
が、人間関係を気づくときに心地よくいられるか、いられないか、に関わっているな。
ということに気がつきました。
わたしの場合はね。
〇〇な人は、〇〇だ。
という完全に先入観でした。
〇〇な人。と勝手なフィルターつけたり、
〇〇派と、勝手に派閥をつくってみたり、
勝手に変なマイルールをつくっていくと、
少しずつ、
疲れるんですよね。
ちゃんと話せば分かり合える。
それだけのことかと。
わたしはわたし。
人に迷惑をかけない。(自分よがりにならない意味で)
人に迷惑をかけてもよいし、迷惑をかけられたら許せるように。(思いやりの意味で)
この辺を間違えなければ、
出会った人と自分との違いを楽しんで、
自分もどんどん変わっちゃってOKなんだ!
と思えたときから、
人生が人生ゲームのように楽しくなっているような気がします。
思いのままにコマを進めて、
相手も進んでくる。
そこでの巡り合いの繰り返し。
同じときに同じ場所にいられるキセキも感じるし、
そこに辿り着くまでに、
名前も知らない人のお陰様がたくさんあるんだろうな。
と思うと、感謝しか湧いてこなくなる。
という瞬間が、確実に増えています。
スイッチ押すと電気がつく。
ピッとボタンひとつでお風呂が沸く。
いつでもお湯が出る。
賃貸暮らし、いやだな。って
家建てたいな。って
思ってたんだけど、
ここの生活、天国すぎる環境だな。
って心から思えている自分がいるんですよね。
ただ、
子どもたちに、この有り難みを知ってもらうためには、この天国すぎる環境を当たり前と思って欲しくない。と思うと、このままではいけない。不便につれていかねば。
と思うのです。
(笑)
子どもたちには結構嫌がられるけど、こんな変な母親を選んで産まれてきたのは君たちだよ。
と、強引に自分を納得させて、(笑)
もうひと眠りしよう。
変な時間に目が冴えた夜でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?