娘のお誕生日
今日は娘の誕生日。
2年前、娘はここで産まれました。
妊娠37週。
朝方腰が痛くて、念のために産婆さんへLINEをしました。
2度目の出産ではあったけど、今回は自宅で産むことを決めたので、2度目でありながら、初めての経験でした。
上の子のときは、切迫早産で1か月も入院していて、退院する日に生まれてしまったので、とにかく家に帰りたかった。
2日に1度のペースで浴びていたシャワーを逃してしまっていて、3日か4日くらいお風呂に入れていなかったので、
✓今回は、お風呂に入った体で、清潔感のある状態で?出産したい!
✓あとは、夫と上の子に立ち会ってほしい!
✓産後はいろんな人に赤ちゃんを見に来てほしい!
この3つがわたしのバースプランでした。
特別なことは何も言っていないはずなのですが、2022年1月は、コロナ禍真っただ中だったので。
お産の立ち合いと、面会には制限がありました。
自分なりに勉強してみると、赤ちゃんがその後の人生で丈夫な身体でいることにはどうやら「免疫力」という力が強い方がよいということが分かった。その免疫力を高めるためには、生まれてすぐに家族に抱っこしてもらうこと。最初に獲得する腸内細菌の種類は多い方がよいとのこと。
この話を、産婦人科のクリニックで熱弁したのですが、全然伝わらず、(笑)
困っていたところに「助産院」という選択肢が出てきて、
そこの助産院は、自宅出産しか取り扱っていない!ということで、
わたしは選択肢しなければいけなかった。
クリニックで静かに過ごすお産にするか。
自宅(といってもせまめの2LDKの賃貸住宅)で産むか。
自分の中での葛藤もあったし、夫の承諾を得るまでに時間もかかったけど、
32週の時に正式に助産院へ転院した。
そして37週のある日、腰痛が結局は陣痛の始まりとなり、無事に自宅で娘を産み、そのまま、お家での生活が始まった。
実に自然とした流れで家族が増えた瞬間だった。
それからの2年間は、わたしにとってはあっという間に過ぎていきました。
自然のプロセスを大切に、母体の力を信じてお産と向き合ってくれる助産師さんとのお産を通して、自分に自信をもっていい。そんなメッセージを受け取った気がしています。
娘は、生まれた時から落ち着いていて、一人で遊んで疲れたら勝手に寝る。そんな赤ちゃん時代を過ごしました。
(これは妊娠中の食生活と一番安心して過ごせる自宅の寝室で出産できたことが大きいと感じています。)
1才になると、保育園に通い始めました。
ずっと一緒にいたから、保育園になれるのには時間がかかったけど、友達の保育士さんから、1日5分でいいから目を合わせて話す時間をつくってみて。とアドバイスされ、そうしてみると、気持ちが落ち着いたのか保育園にも笑顔で通えるようになりました。
これまでいっつも抱っこで、母と娘が同じ目線だったから、きっと娘は〝自分は母(わたし)〟と勘違いしていたのかもしれない。
そういえば、娘と向き合ってお話したり、語りかけられていなかったかもしれないな。
そんな気付きをもらってからは、娘も自分という存在に気がついたかのように、メキメキと自立していきました。
日向子という名前は夫が名付けました。
ポカポカとあたたかく心地よい人生を歩んでほしい。
関わる人にもそのぽかぽかを与えられる人であってほしい。
そんな願いが込められています。
33才の人生と2才の人生。
どっちも一生なんだよなあ。
わたしにとってはあっという間の2年間だったけど、「今ここ」を生きるのが上手なこどもたちにとっては、一瞬一瞬が全てで、決してあっという間ではなかったはず。
これからも、こどもたちが自立していくサポートを、出来る範囲でしていきたいな。と思います。
ひなこ、お誕生日おめでとう!
お父さんとお母さんのこどもになってくれてありがとう!
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