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働かないゆめ

 その時はゆめとは気が付かず、ただどこかに吐き出したくて、弱りきったおれの救いとなったのが書くことだった。

 お母さんお父さんがいないことに慣れたくなくてずっと悲しみの中にいたかったおれは、書くことで悲しみ続け、書くことで思いを吐き出し整理しながら毎日をどうにか過ごしていた。部屋には沢山の空缶、敷いたままの布団、ヒノ(彼氏)に編んでみているマフラーには床に落ちた髪の毛まで一緒に編み込まれる始末。同じアパートに住んでいた兄とヒノが連れ出してくれるおかげで、食事はできていたけれど、それ以外の人と会うことがなぜか実現不可能とさえ思えた。みんな心配してくれているのは分かっているのだけどどんな風に振る舞ったらいいのか何を話せばいいのか、もう前の自分とは全然違うような気がして、会いたいけれど誰にも会いたくない、そんな人になっていた。想像するだけでもう疲れてしまって、飲んで泣いて、でも寝る前にまた飲んで書いた。

 始めはただ泣きながら思い出を書き綴ったり、もっとこうしてあげれば良かった、なんてダメな娘なのかという反省だったり。悲しみの中にいつづけるために、ずっと後ろ向きで生きていくために書き始めたけれど、それをブログとして残そうと思ったあたりから風向きが変わってきた。
 誰かが読んでもいいしどっちでもいい、と書き始めた文章に読み手がついたり励ましのコメントをもらったり、その人たちと音楽映画小説の話なんかをしだしたりして、ただの殴り書きが誰かにも届いたりすることが面白くなってきていた。
 あの人らが読むと思えば、もっと多くの人に読んでもらいたいと思えば、悲しい以外のネタも探すようになった。探すために外出も増えて、自動車学校も再開することができた。読み手に勧められてエッセイ集に応募して掲載されたこともあった。書くことでおれは保たれた。

 ここまでくると、薬は飲んでいて会える人は限られているけれどできることは増えていき、ヒノとの生活楽しい! もうちょっと長く生きてみるのもいいかも、などと思うように。そこからの回復は早く、自動車免許取得、あまり学校に行かなかったわりに大学も無事卒業、卒業式にもしっかり着物で参加(この日のために母が買ってくれていた)、大学の友達ともしっかりお別れをすることができた。 

 その時の楽しみは、もっぱら生活。きちんと朝に起きてヒノに電話、天気がよかったら歩いてコンビニに行って一緒にベランダで冷たいうどんを食べたり。昼寝をする時もあるけれど、ほとんどの時間を本を読んだり書いたりして過ごす。気を失って眠るまで飲んで、みんなが眠っているだろう時間に起き出して泣きながら書き殴っていた頃と比べると、いい方向に向かっているといえる。お酒だって、また楽しむために飲めるようになった。

 そしてやっと新しいゆめを見る。前と同じ自分ではもうないけれど、そりゃそうだ。あんな思いをしたんだもの、同じはずがない。
 沢山本を読んで書き物をする毎日、天気がよければ洗濯だってする。泣く日もあるけど笑ったまま眠る日もある。新しい友達(にゃーにゃ)もできた。こうやって生きていきたい、これが新しいゆめ。この生活を一日でも長く続けたい。
 ヒノが仕事を辞めたタイミングでにゃーにゃが4匹仔猫を産み、生活はもっと楽しくなる。いつかずっと年を取った時に「あぁあの時に戻りたい」そう思うとしたら絶対に今だ。

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