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おれでよかった ー45の誕生日に思うこと

 今日で45歳になった、スゴイ。うれしい!! という感じはやっぱりあまりなくて、でもおつかれー! という感じはすごくした。あっという間だとは思わないけれど、いろんな毎日を積み重ねて、これが44年過ぎたということかと思ったら、やっぱりおつかれーという感じだ。

 45歳を迎えたその時は、友達の家の留守番中であまり懐いていない猫とふたりでそれぞれゴロゴロしていた。ゴロゴロというより、44年かーなんてしみじみ駅前で買ったお寿司を含むちょっと豪華な晩酌の後、人の家のソファーで寝落ち。気がついたらすっかり0時を回っていて、あ45だおれ、と思って人のベッドに移動して寝た。今日のパジャマは勝手にタンスを開けて見つけた黄色と水色のボーダーのTシャツと黒い短パン。可愛いの持ってるじゃん、さすが。

 友達はとても少なく、その人(男)は喉乾いたなーと思ったら飲みに誘える唯一の友。初めて会ってからはもう5、6年経っているのかも。それでもお互いの性格的なものかちょっと崩れることはあれどほぼ敬語、何度も何度も乾杯はしているけれどお互いのことをすごく知っているというわけでもない(ような)。いろんな人と付き合おうとトライしている話は聞くけれど、彼が好きな人を見たことも1回しかない。その1回もほぼ偶然、という感じで挨拶程度。それでもなんとなく続いているおれら。たまの留守番でしか会わないから当然なのだけれど、あまり懐いていないこの家の猫との関係と少し重なる。お互い勝手に、つかず離れず、というやつか。

 その人が留守しているその部屋をホテルのように使うおれ。この部屋で一緒に過ごしたことはほぼない、鍵の受け渡し程度。ソファ、テレビ、小さいテーブルとベッド、あとは猫関係のものしかないその部屋は、生活感がなくて本当にホテルのよう。なので、ゴロゴロ以外することがなくてしみじみして目覚めた後、こうやって書き物をすることができる。よい誕生日。

 母が45歳だった時はどんなだっただろう。29歳の時の子だから16歳、高校生か。母はその時1回目の癌の治療中だった。そして何度も繰り返した後、50歳でさよならした。状況は違えど、自分に残された時間もあと5年かなと、なんとなくいつもそこをリミットに考えてここまで来た。
 学生の頃からリミットを意識してきたわりに、結婚が早いわけでもないし(していない)、出産や起業を経験したわけでもない。思っていたより何者にもなれていないままここにいる、でもそれがおれだったということだ。

 母のことを思うと、今の自分は楽しみ過ぎかなと申し訳なく思うことがある。田舎で生まれて、隣町の公務員と結婚して、その後働きながらおれたちを育ててくれた。憧れた職業に就いたわけじゃないだろう。家族で旅行に行った記憶もない。もっと楽しませてあげられたら良かったな。おれみたいにこんな勝手な生き方をしても、45まで生きられた。でもあと5年となると、もっともっとと欲が出てくる。もっともっと楽しみたいし、新しく始めたいこともある、お金だって本当はもっと使っていいのかもしれない。あの時ああだったらなと思うことがないわけじゃないけれど、それはみんな一緒だ多分。ああだったらなと後で思うことがあるかもしれないけれど、面白そうやってみたい! なことはやろう、行こう。

 中学の時からの友人がおめでとうのLINEをくれた。年賀状のように1年に1度の生存確認のような連絡だけれど、思い出してくれてありがとうと毎度思う。いろんな人がいておれがいる、当然なのにそんなことも思い出せた6月16日。父の命日でもあるからはしゃいで過ごすのはずっと禁じているけれど、よい1日にしたいと思う。


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